戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-05-05から1日間の記事一覧

平池 大隅 ひらいけ おおすみ

鎌倉末期の讃岐国仁尾の住人。元徳二年(1330)三月二十五日付の人身売買文書中に「平池大隅殿」としてその名が見える。

香川 信景 かがわ のぶかげ

西讃岐を支配した有力国人・香川氏の当主。中務大輔。天正年間に織田氏と毛利氏の支援を受けて阿波三好氏と戦い讃岐西部の支配を固めた。後に土佐の長宗我部氏と同盟。同氏の讃岐制圧および伊予侵攻で重要な役割を果たした。

イエズス会定宿の主 いえずすかい じょうやど の あるじ

瀬戸内海の中継港である塩飽で宿を営んでいた人物。イエズス会士たちは、布教拠点である豊後と京都を往来するため、瀬戸内海をたびたび航行していた。イエズス会士たちは、塩飽においては彼の宿を定宿とし、この主も塩飽における様々な便宜を図ってイエズス…

岩城屋 いわぎ や

天文二十三年(1554)、小早川隆景の生口島調略に中心的な役割を果たした商人。その名から生口島の東にある岩城島出身と考えられる。

花屋 道薫 はなや どうくん

瀬戸田の有力商人。向上寺の梵鐘の銘にその名がみえる。

魁首の一僧 かいしゅ の いっそう

応永二十七年(1420)、朝鮮王朝の官人・宋希璟が安芸国蒲刈で出会った海賊の首領。

荒谷 吉長 あらたに よしなが

竹原小早川家臣。内蔵丞。16世紀半ば、三永村(広島県東広島市西条町上三永・下三永 )に権益を得た。

荒谷 彦二郎 あらたに ひこじろう

竹原小早川家臣。 小早川弘平に仕えた。小早川弘平の父弘景の置文によれば、荒谷氏は弘景の時代に出仕した「足洗」(身分の低い家臣)であったらしい。

小早川 煕位 こばやかわ ひろただ

小早川円春の子。官途名は治部少輔。弟に彦次郎がいる。

小早川 円春 こばやかわ えんしゅん

小早川徳平の子。小早川煕位、彦次郎の父。官途名は土佐守。沙弥善麻から大条浦など「下島」(大崎下島)を譲り受け、宇津神社の社殿を再興するなど同島での支配を固めた。

小早川 徳平 こばやかわ のりひら

竹原小早川氏の惣領、小早川義春の次男。仮名は弥二郎。小早川仲義の弟。小早川円春の父。父から大崎上島の大崎西庄の所領などを譲られ、大崎下島進出のきっかけを作った。

善 善麻 ぜん ぜんま

室町期の「下嶋」(大崎下島)の領主。文書には「沙弥善麻」や「善式部少輔入道善麻」と自署している。大山積神社の社務職を管掌した善氏の一族とみられる。

二階 就貞 にしな なりさだ

戦国期の廻船商人。藤左衛門尉の子。父の跡をついで毛利氏の海上輸送を担った。

二階 藤左衛門尉 にしな とうさえもんのじょう

戦国期の廻船商人。就貞の父。仮名は新次郎。天文十九年(1550)に毛利元就から藤左衛門尉の官途を受けている。毛利氏に属し、同氏の御用商人として城道具や兵糧の輸送などにあたった。