戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

能登釜 のとがま

 能登国七尾北湾の要港・中居で生産された鉄釜。

能登国の鋳物

 平安後期の康和二年(1100)、能登国の当年分の封戸代として石納釜一口が徴収されている。同時代の『堤中納言物語』には、「けぶりが崎に鋳るなる能登がなへ(鼎)』という記述がある。能登国では、古くから鋳物生産が盛んだった。

 11世紀成立の『新猿楽記』や室町期の『庭訓往来』には、名産品として「能登釜」がみえる。全国的な製品ブランドを得ていることがうかがえる。

中居の鋳物師

 中居の鋳物師は禁裏御用の格式を持っていた。永禄四年(1561)の正親町天皇の即位に際しては、祝儀を進納している。この京都と関係から、能登釜が中居から海路で畿内に運ばれて販売されていたことも考えられる。

製塩用の鉄釜

  また能登海浜では、古くから製塩が盛んであった。鹿島郡熊来荘(現・中島町)や珠々郡若山荘(現・珠洲市)で塩釜や塩浜が確認されるように、その製法は揚浜式塩田を用いたものであった。

 中居の能登釜は、この製塩用の鉄釜として用いられていたとみられる。能登国内でも、製塩産業を支える重要な製品として需要が高かったと思われる。

参考文献

  • 東四柳史明「日本海交通の拠点 能登」(網野善彦石井進・編『中世の風景をよむ 6 内海を躍動する海の民』) 新人物往来射 1995