戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

七尾 ななお

 室町・戦国期の能登国守護・畠山氏の拠城・七尾城の城下町。七尾城の西北麓、現在の七尾市古屋敷町や古城町に形成された。

能登守護・畠山氏の本拠

 大永六年(1526)五月、守護・畠山義総の邸宅が七尾城内にあったことが史料上で確認できる。この時期には、畠山氏の本拠が府中から七尾に移っていた。畠山氏とその城下町・七尾が最盛期をむかえたのは、この義総の時代であるといわれる。

 史料上では、温井総貞や長綱連ら重臣の屋敷も七尾にあったことが確認できる。また府中にあった大寧寺や安国寺も、七尾城下に移転している。この時期は彭叙守仙をはじめ、冷泉為広・為和父子、連歌師・宗碩ら多くの文化人が七尾を訪れ、義総や家臣らと交流している。

彭叙守仙が見た七尾

 天文十二年(1543)に七尾を訪れた禅僧・彭叙守仙は、当時の七尾の繁栄について『独楽亭記』の中に記している。これによれば、七尾は家並みが一里ほど連なる大きな都市であり、市場町には様々な行商人が行き交い、多くの常設店舗が軒を連ねていた。また石動山に通じ、朝夕に大勢の人々が絶え間なく往来していたとしている。

発掘調査にみる七尾

 発掘調査によれば、16世紀後半ごろ、尾根の傾斜面上に大型の武家屋敷や、寺院群、土師器の工房跡や染物屋などの職人層の町屋などは検出されている。一方で、大規模な商業区画などはみられないという。

 畠山氏の本拠移転後も、府中や所口湊は依然として商業的に発展していたとみられる。七尾の都市としての規模は、『独楽亭記』が記す程ではなかったという見方もある。

参考文献