戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

沢根 さわね

 佐渡国西部、真野湾北岸の港町。戦国期に開発されたと伝えられる鶴子銀山の外港として急速に発展し、日本海海運の要港となった。

鶴子銀山

 沢根の後背に位置する鶴子銀山は、天文十一年(1542)、越後寺泊の商人・外山茂右衛門によって発見されたといわれる。以後、沢根は銀の積出港、および銀山への物資搬入港として急速に発展したとみられる。

越後・佐渡間の航路

 天正十七年(1589)、佐渡に出兵した上杉景勝出雲崎から船出して沢根に上陸したとされる(『景勝公一代略記』)。これは上杉氏が佐渡出兵にあたり、沢根城に拠点を持つ沢根本間氏と結んだことによる。その背景には、銀の越後移出による両氏、および沢根と越後との関係があったとも考えられる。

日本海流通に関わる沢根商人

 戦国末期には、沢根を拠点として日本海の広域流通に関わる商人も現れていた。慶長三年(1598)、佐渡の「さわね」の甚介は、出雲崎の橘屋二郎左衛門とともに、秋田氏から請負って秋田から敦賀までの材木輸送に携わっている(「秋田藤太郎材木入用帳案」)。

 他にも景勝の命令で米を石見国に運び、かわりに焔硝を持ち帰った「佐渡屋」という商人がいた。佐渡及び沢根が戦国期に遡り、日本海の全域にわたる海運の拠点となっていた可能性は高いと思われる。

参考文献

  • 池上裕子 「第3章 第2節 海の道・佐渡の道」 (『新潟県史 通史編2 中世』 1987)