戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

焔硝 えんしょう

 硝酸カリウムを主成分とする鉱物。硝石。鉄炮の火薬(玉薬)の材料として、炭、硫黄とともに調合された。戦国期、日本国内の焔硝の需要は主に海外からの輸入に依存していた。一方で焔硝の抽出方法は知られており、国産の焔硝も一部使用された。

鉄炮伝来と玉薬

 焔硝や硫黄、炭などの成分の配合比率をはじめとする玉薬の製法は、天文十二年(1543)の種子島への鉄炮伝来と同時に日本に伝わった。『鉄炮記』によれば、領主・種子島時尭鉄炮2挺を購入するとともに、「その妙薬の擣篩(つきふるい)、和合の法」を小臣篠川小四郎に学ばせたという。

足利義輝が入手した玉薬製法

 将軍・足利義藤(義輝)は鉄炮とともに種子島に伝来した玉薬の製法に強い興味を持っていた。義藤の意向を受けた側近の近衛稙家は、種子島時尭が「南蛮人から直に相伝した玉薬」の調合法の入手を図っている。

 なお永禄元年(1558)十一月、足利義藤が長尾景虎に贈った炮術伝書「鉄炮薬方並調合次第」には玉薬ニ種の成分配合比率として「一、ゑんせう(焔硝)二両二分 一、すみ(炭)一分二朱 一、いわう(硫黄)一分」と「一、ゑんせう(焔硝)一両二分 一、すみ(炭)一分 一、いわう(硫黄)三朱 」が記されている。

古土法の実践

 焔硝の製法について、日本には古土法が伝わっていた。雨のかからない古い家屋の床下、古い洞窟などの表面の土には、色々な動物の死骸や糞尿からアンモニアが生成して、土壌中の硝化細菌により酸化されて硝酸カルシウムとして蓄積している。この土壌に含まれている硝酸カルシウムを抽出し、処理を加えることで焔硝は精製された。

 早い例では弘治三年(1557)頃、安芸の毛利元就が家臣に出した書状に、「塩硝を作るので、その方の馬屋の土を所望する」とある。また別の書状では「塩を作る人が罷り越したので、古い馬屋の土が入用なので、その方に調達を命ずる」ことが記されている。

戦国大名の対焔硝政策

 国産品にせよ輸入品にせよ、焔硝は鉄炮運用のために欠かせない軍需物資であった。このためその確保は、戦国大名の重要な課題となった。弘治元年(1555)正月、甲斐武田氏は焔硝移入の任務を持つ彦十郎に対して、一ヶ月に馬三疋分の関税を免除している(『諸州文書』)。

 豊後の大友宗麟イエズス会を通じて焔硝の輸入を図るとともに、敵対する毛利元就への供給停止を依頼している。天正十五年(1589)正月、陸奥伊達政宗も新宿通りの商人に「具足・玉薬・焔硝一斤一領も相通すべからず」と通達している。

参考文献

  • 宇田川武久 『歴史文化ライブラリー146 鉄砲と戦国合戦』 吉川弘文館 2002