戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

新潟 にいがた

 越後国の大水系である阿賀野川信濃川の河口部に位置する新興の港町。戦国後期以降、ともに「三ヶ津」と称された蒲原や沼垂をしのぐ繁栄をみせた。

新興の港町

 永正十五年(1518)、陸奥の伊達氏が朝廷に派遣した使僧は、沼垂と蒲原の渡し守に船賃を支払って阿賀野川信濃川を越え、西に向かっている。このときには、新潟の名はみえない。

  新潟の史料上の初見は永禄七年(1564)、京都醍醐寺の僧の旅の記録にみえる。この僧は阿賀野川を下り、蒲原から「ニイカタノワタリ」を渡って宿泊した。翌日、乙法寺に参詣して後、再び「ニイカタ」の旅籠に十日間余滞在してる。

 長期逗留地として蒲原ではなく、新潟が撰ばれている。この頃までには、宿泊施設を含めた町全体の施設が充実していたことが窺える。

  またこの前年の天文二十年(1551)、上杉謙信は大串某を「三ヶ津」の横目代官職に任じて、津からあがる税の徴収を命じた。流通の上でも新潟が重要な位置を占めるようになっていたものと思われる。

新潟商人の活躍

  16世紀末、伏見城普請の御用杉をが、秋田から敦賀に輸送された。このとき新潟の商人である二郎右衛門や石井彦五郎がこれに関わり、船賃を受領している。彦五郎はさらに、慶長四年(1599)には蝦夷松前に交易船を送っており、毎年交易にくるよう松前藩から求められている。

参考文献

  • 新潟市史 通史編』 1995