戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

越前府中 えちぜん ふちゅう

 古くから国府、守護所が置かれる中世越前の中心都市。 加賀へと抜ける北国街道が今泉・河野浦、敦賀へと至る西街道と分岐する交通の要衝にある。宿場町であり、多くの寺社が存在する門前町的な性格も備える北国街道最大の都市。

「国中」の中心

 府中は「国中」と呼ばれた地域(南条、今立、丹生の三郡の範囲)の、経済の中心であったとみられる。 戦国期、越前を支配した朝倉氏は、本拠を一乗谷に置く一方で、複数の重臣が奉行人をつとめる「府中奉行所」を設け、「国中」を管轄させている。

 永正十五年(1518)、府中奉行人は連署で織田庄の教善左衛門に宛て、「丹生北郡内紺屋かた」から府中の紺屋方へ毎年二十疋を納めるよう命じている。「国中」地域においては、府中奉行所と府中の座が、郡単位の座を支配する構造になっていたことがわかる。

越前府中の豪商

 このため府中には、富裕な商人が多く存在していた。『松屋名物記』によれば、府中の「小袖屋」は朝倉宗滴から一千貫の大金で名物の唐物茶入「つくも茄子」を購入し、これを京都の豪商・袋屋に預けている。

 「小袖屋」は、その屋号から絹織物を扱う商人とみられる。地元の越前織や輸入品の絹を扱い、京都方面にも商いを広げていたことがうかがえる。他にも、後に加賀に移って活動した酒屋の越前屋空遍も、府中の出身だったという。

参考文献

  • 小泉義博 「第五章 中世後期の経済と都市 第一節 産業・交通の発展 二 交通路の発達と市・町の形成」( 『福井県史 通史編2』 1995)
  • 小野正敏 『戦国城下町の考古学 一乗谷からのメッセージ』 講談社 1997