戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

甘葛 あまづら

 深山に自生する蔦(つた)の一種。もしくは、この蔦の樹液を集めて煮詰めて作られたシロップ状の天然甘味料。日本では砂糖の本格普及以前の甘味料として重宝された。

諸国からの進貢品

 甘葛の歴史は古く、既に8世紀には薩摩や駿河の産物として史料にみえる。延長五年(927)成立の『延喜式』の大膳部にも諸国から進貢される菓子の中に甘葛がみえる。東は越後国伊豆国、西は備前国備中国、そして大宰府まで。多くの国が進貢国に挙げられている。

甘味料

 甘葛の用途としては、例えば山芋を薄く切って、味煎(蔦の原液。煮詰めると甘葛になる)で煮込む薯蕷粥(いもがゆ)や、団喜や粉熟、椿餅といった唐菓子に用いられたことが様々な史料に見える。

 また清少納言は『枕草子』の中で「あてなるもの。(中略)削り氷(ひ)にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる」としている。当時、貴重な贅沢ではあったが、真夏に甘葛をかけたカキ氷が食べられていたことがわかる。

大内氏の贈答品

 中世において、甘葛は贈答品としても用いられた。特に周防・長門の有力大名である大内氏は甘葛をたびたび贈答に用いていた。公家・三条西実隆の日記『実隆公記』によれば、文明十九年(1487)に大内政弘が禁裏へ甘葛一桶を贈っている。同日記には、以後も延徳元年(1489)、明応五年(1496)、明応六年(1497)に甘葛を贈っていたことが記されている。

 幕府の政所執事代であった蜷川親元も、文明十三年(1481)に大内氏からのたびたびの礼として甘葛があったことを記している(『親元日記』)。政弘死後、その子義興も永正六年(1509)に甘葛15両を豊原朝臣に贈っている。

 なお明応五年、当時周防に下向していた龍翔院(三条公敦)も甘葛を禁裏に進上している(『実隆公記』)。甘葛は周防国の特産品だったのかもしれない。

姿を消す

 ただ宮中における甘葛の記録は、天正三年(1575)を最後にみられなくなる。室町期以降は海外貿易の発展により、砂糖の輸入量が増大していた。甘葛の需要は減少していったのかもしれない。

参考文献

  • 江後迪子 「信長のおもてなし 中世食べもの百科」 吉川弘文間 2007

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かき氷 from 写真AC