戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

芦屋 あしや

 筑前国遠賀川河口部に位置する港町。中世、同じく北九州にあった門司や博多と連携する海運の拠点として栄えた。

戦国期の住人

 戦国期芦屋の住民については、『金台寺過去帳』に一端をみることができる。例えば「紙衣屋」や「桶屋」「念珠屋」の他に「船番匠」といった港町特有の職人もいたことが分かる。中でも「釜屋」「金屋」の記載が多く、中世、全国的に知られた芦屋釜の鋳物師の活動を知ることができる。

博多と関門海峡の中継港

 文明十二年(1480)、九州に下向した連歌師・宗祇は、博多から芦屋を経て長門に戻り(『筑紫道記』)、永正十四年(1517)、宗祇の弟子・宗碩も、博多から芦屋を経て門司、長府へと至っている(『月村抜句』)。

 二人の連歌師の旅は、中国地方から北九州を支配する大内氏の保護の下に行われた。芦屋が同氏の重要港湾である博多、門司を結ぶ、海上の中継点であったことが推定できる。

幕府奉公衆・麻生氏と対外貿易

 また文安五年(1448)の麻生弘家知行目録に「山鹿・芦屋津」とあるように、芦屋は幕府奉公衆で大内氏に属す国人・麻生氏の支配下にあった。この麻生氏は大内氏のもとで対外貿易にも関わっていた。

 文明九年(1477)四月、幕府の唐船方奉行・飯尾元連宛の全教(麻生弘家)書状には「唐船御荷物なんと如形進上仕候」ある。麻生氏が、渡唐船による将来物を幕府に進上していたことが分かる。

関連人物

参考文献