戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-05-09から1日間の記事一覧

大内 直貞 おおうち なおさだ

幕府奉公衆・大内氏の一族。官途名は修理亮、後に周防守。

大内 義豊 おおうち よしとよ

幕府奉公衆・大内氏の一族。仮名は助四郎。官途名は下野守。冷泉興豊の父か。

大内 弘成 おおうち ひろしげ

幕府奉公衆・大内氏の一族。仮名は四郎。足利義尚の近江親征に従軍した。

冷泉 隆豊 れいぜい たかとよ

大内家臣。仮名は五郎。官途名は民部少輔。隆豊の父。「興」は大内義興からの偏諱と考えられる。加賀に拠点を持つ幕府奉公衆・大内氏の出自と推定されている。

冷泉 興豊 れいぜい おきとよ

大内家臣。仮名は五郎。官途名は民部少輔。隆豊の父。「興」は大内義興からの偏諱と考えられる。加賀に拠点を持つ幕府奉公衆・大内氏の出自と推定されている。

内藤 正朝 ないとう ただとも

大内家臣。仮名は彦次郎。内藤興盛の次男。兄に隆時、弟に隆春などがいる。

陶 興昌 すえ おきまさ

大内家臣。仮名は次郎。陶興房の嫡男。大永年間、父とともに安芸国に在陣したが、病を得て帰国した。興房の後継者として期待されており、家臣に偏諱も与えていたが、若くして没した。

陶 武護 すえ たけもり

大内家臣。仮名は三郎。官途名は中務少輔。出家後は宗景と号した。陶弘護の長子。弟に興明、興房。

陶 興明 すえ おきあき

大内家臣。仮名は五郎。陶弘護の次男。武護の弟で、興房の兄。当主だった兄が遁世したため家督を継いだが、その兄に討たれた。

中村 彦太郎 なかむら ひこたろう

黒川隆尚(宗像正氏)家臣。天文十年(1541)正月の厳島鳥居沖の海戦で活躍した。

宗像 氏男 むなかた うじお

筑前宗像氏当主。近江権守。宗像氏続の子。弟に千代松丸。宗像正氏の娘を娶って、その猶子となり宗像氏の家督を継いだ。後に周防山口に出仕し、名を黒川隆像と改めた。

宗像 正氏 むなかた ただうじ

筑前宗像氏当主。仮名は四郎。官途名は刑部少輔。宗像興氏の養子。宗像氏男の養父。宗像氏貞の実父。後に黒川隆尚と改名した。周防大内氏の指揮官クラスの武将として、各方面で活躍した。