戦国日本の津々浦々 ライト版

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景初三年銘三角縁神獣鏡 けいしょさんねんめい さんかくぶちしんじゅうきょう

 神原神社古墳(島根県雲南市加茂町神原)の木棺から出土した銅鏡。中国古代の神仙説話に登場する西王母東王公などの神仙と、神仙界を守護する霊獣とを表現した神獣鏡であり、中国の魏の「景初三年」(239年)の紀年銘を持っている。

神原神社古墳の副葬品

 景初三年銘三角縁神獣鏡は神原神社古墳の木棺内から出土した。同古墳は方墳に分類されており、出雲最大の河川である斐伊川の支流赤川左岸の丘陵状の微高地に営まれた。

 神原神社古墳の墳丘のほぼ中央に、狭長な竪穴式石室1基が設けられており、石室の粘土床には木棺が置かれていた。この三角縁神獣鏡は、木棺の東側で棺縁に立てかけたような状態で発見された。

 鏡は鏡面を表にし、約40度傾斜させて置かれており、上縁の裏には棺材の残欠が接触していた。表面(鏡面)には、ぼろぼろに朽ち崩れた木片と繊維質のものが付着していた。このことから、鏡は布に包まれ、板様のもので覆われていた可能性があるという。

 鏡は最も重要な副葬品であったとみられ、被葬者の身体で中心となる頭あるいは胸の東側に体に接して置いていたと推定されている。そしてこれと相対する西側には、頭の上方に大刀2口と足の下方に矢1束(37本)が配置されていた。また下半身(脚部)の両側に剣など1口ずつ、鉄鍬先や鉄斧などの農工具類は一括して南端(足の方向)に置かれた。

 なお神原神社古墳は古墳時代初期のものとみられるが、その後、少なくとも中世末から古墳の上に神原神社の本殿が建築されていたと考えられている。『雲陽誌』では「神寳明神」と呼ばれており、慶長十六年(1611)と正保三年(1646)の造立棟札があると記している。

銅鏡の図像と銘文

 景初三年銘三角縁神獣鏡は、中国古代の神仙説話に登場する西王母東王公などの神仙と、神仙界を守護する霊獣とを表現した神獣鏡であり、その図像配置から同向式神獣鏡に分類される。同向式神獣鏡とは、鈕(鏡面の裏側の中心にある"つまみ")の上下左右に4組の神像を同じ上向きに配置し、それぞれの間に4体の獣形を入れた四神四獣鏡を基本とする形式をさす。

 すなわち、鈕の上に茸状の台に座る伯牙が、左には双髻形冠の西王母が、右に三山冠の東王公、下に茸状の座に横向きに座る黄帝の図像が配されている。全体では、伯牙、西王母東王公黄帝を主とする4組の神像は、祖型となったとみられる画紋帯神獣鏡の表現を比較的忠実に模倣しているが、獣の表現は比較的形式化が進んでいるとされる。また図像全体の鋳上がりは、必ずしも精良とは言えないと評価されている。

 そして伯牙像の右上から反時計回りに41文字の銘文が以下のように刻まれている。

景初三年。陳是作鏡、自有經述。本是京師、杜地□出。吏人詺之、位至三公。母人詺之、保子宜孫。壽如金石兮。

〔訓読〕
景初三年、陳是(氏)鏡を作り、自ら経述有り。本是京師の杜の地より□出づ。吏人之を詺(銘)すれば、位、三公に至る。母人之を詺(銘)すれば、子を保ち、孫を宜しくす。寿は金石の如し。

 「景初」は三国時代の中国において華北を支配した魏の年号であり、景初三年は西暦239年にあたる。

 『三国志東夷伝倭人条によると、景初二年(238)*1六月に「倭女王」(卑弥呼)が大夫難升米らを朝鮮半島帯方郡に派遣。帯方太守劉夏が倭の一行を「京都」(洛陽)に送ったことで、同年十二月、卑弥呼を「親魏倭王」となす詔が出され、金印紫綬を授け、銅鏡百枚などが下賜されている。

陳是作紀年銘鏡との比較

 景初三年銘三角縁神獣鏡の銘文には「陳是作鏡」とあるが、「陳是作」の銘文が刻まれた銅鏡は日本各地で複数出土している。すなわち、以下のものが知られる。

 景初三年銘三角縁神獣鏡を含めてこれら5種8面の銅鏡は、「陳是(氏)」という同一工人ないしは同一工房の製作と推測されている。

 中国鏡の銘文には一定のパターン(定型)があり、それをもとに脱字や仮借、異句挿入が行われることが普通であるという。そして上記の5種のうち、紀年銘のある4種の銘文を比較すると、景初三年銘三角縁神獣鏡の銘文が定型であり、他の3種には定型文の省略や置き換え、倒置がみられるとされる。

 また景初三年は景初四年・正始元年*2の1年前であり、紀年銘からみても、整合するという。

 一方で景初三年銘三角縁神獣鏡は、他の神獣鏡3種に比べて形式化が進んでいるとの見方がある。これについては、神獣鏡の試作段階*3におけるモデルの模倣度や、「陳是」工房の製作工人の熟練度の差が出た可能性も指摘されている。

参考文献

景初三年銘三角縁神獣鏡
島根県立古代出雲歴史博物館 テーマ別展示室で撮影

景初三年銘は画面左側
島根県立古代出雲歴史博物館 テーマ別展示室で撮影


*1:景初三年(239)とする説もある。

*2:いずれも魏の元号だが、実際には景初四年は存在しない。

*3:盤龍鏡や獣帯鏡など、さまざまな後漢鏡をモデルに一連の三角縁神獣鏡が創出される時期にあたる。