戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

小浜 景隆 おばま かげたか

 伊勢国の海賊。官途名は民部左衛門尉、後に伊勢守。小浜光隆の父。伊勢の海賊衆・小浜氏の出身。元亀二年(1571)、水軍編成を急ぐ武田氏の招致に応じ、駿河の江尻・清水に拠点を移して武田警固衆の一翼を担った。

伊勢から来た海賊

 元亀二年(1571)十一月、武田氏による伊勢「海賊」の招致交渉は大詰めを迎えていた。武田信玄は家臣・土屋貞綱*1に対し、海賊側の所望の地は認めるので、速やかに海賊を来属させるよう命じている(「小浜文書」)。この「海賊」が、小浜景隆であった。

 元亀三年(1572)十二月、信玄は景隆に江尻屋敷を含む335貫900文の知行を給与した。さらに元亀四年(1573)、武田勝頼は以前からの約束として、景隆に(実効性に疑問な知行地もあるが)3000貫もの知行を与えている。景隆が破格の条件で武田氏に属したことが分かる。景隆が武田氏から得た知行地は、江尻、清水や大井川河口部など海運の拠点であった。

 『甲陽軍鑑』によれば、「小浜」は武田警固衆の中では唯一「あたけ」と呼ばれる大型軍船を含む船団を有していた。景隆はこの強力な船団を率い、北条氏の警固衆を破るなど、戦功をあげている。

貿易する海賊

 一方で景隆は、武田氏から相対的に独立した立場にある商人でもあった。天正八年(1580)十二月、景隆は伊勢国から清水に着岸した船2艘の諸役免除を、武田氏から認められている。景隆がこの段階でも伊勢との関係を残し、独自の廻船事業を営んでいたことがうかがえる。

陸上輸送する海賊

 武田氏に属して間もない元亀三年(1572)、景隆は武田氏から同氏分国中において「一ヶ月馬三疋」の「諸役御免許」を得ている。陸上においても、商業活動を行っていたこたがわかる。

 つまり、伊勢-駿河間の海上輸送とともに、陸上においても商品の集積、販売を行っていた。景隆は海陸の流通全般に関与する、まぎれもない商人としての側面も有していたといえる。

参考文献

*1:今川家臣・岡部氏の一族。元の名は岡部忠兵衛。後に武田氏に仕え、姓を土屋に改めた。武田氏の海賊衆を統括した。