戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

江川 太郎右衛門尉 えがわ たろうえもんのじょう

 北条氏の家臣。伊豆国韮山を拠点として、江川酒醸造を行っていた。

北条家臣

 天文二十二年(1553)二月、北条氏康が江川太郎右衛門尉に虎印判状を下しており、その存在を確認できる。永禄二年(1559)に成立した『小田原衆所領役帳』にみえる「江川」も、太郎右衛門尉のことと推定される。「江川」は、「伊豆衆」に属して伊豆の立野という所に三十貫文の所領をもっていた。

  かなり時代が下るが、江戸期の寛政年間に編纂された『寛政重修諸家譜』所収の江川氏系譜によると、江川英元は北条早雲に仕え、永禄四年(1561)正月二十一日に四十九歳で没したとされている。逆算すると永正十年(1513)の生まれということになり、仮に早雲(伊勢宗瑞)に仕えたとしても最晩年ということになる。

 『寛政重修諸家譜』の記述は若干怪しいが、上述の天文二十二年の虎印判状にみえる江川太郎右衛門尉は、時期的に考えると江川英元と同一人物なのかもしれない。

江川酒の製造

 なお、『寛政重修諸家譜』所収の江川氏系譜の英元のところには、「北条早雲につかへ、忠功を励す。早雲もまた吉茂が製する所の酒を愛し、江川となづく。」とみえる。戦国期、全国的に知られた銘酒「江川」は、英元の代でその名がつけられたのだという。

  韮山の江川邸で酒の醸造が行われ、それが北条氏に納められていたことは一次史料から確認できる。天正十八年(1590)三月、北条氏は千津島村に対し、韮山の「江川前」で「大樽」を受け取り、小田原に運ぶよう命じている(「相州足柄上郡旧千津嶋村民助左衛門文書」)。「大樽」は江川酒の入った樽なのだろう。 時代は英元の子・英吉の頃であるが、江川氏は確かに韮山において酒造業に携わっていた。

参考文献