戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

蕎麦 そば

 穀物のソバ、およびソバの実を原料とする蕎麦粉を加工して作られる料理。日本では古くから救荒作物として栽培された。こんにち一般的な麺状の蕎麦切りは、16世紀後半には存在していたとみられる。

中国からの渡来

 日本の弥生時代の遺跡からは、大麦、小麦、稗、粟、黍、ジュズダマ、小豆、大豆、ササゲ、エンドウ、ソラマメ、リョクトウなどとともに蕎麦が出土している。これらの多くは弥生時代に新しく登場する作物であった。蕎麦についても、この時代に新しく渡来したものの中に含まれていて、それが現代の蕎麦の元祖になったのかもしれないと考えられている。

 史料上の初見は養老六年(722)の元正天皇の詔とされる。この年は天候不順でイネの稔りが悪いため、全国の国司に対して晩稲、蕎麦、大麦、小麦の栽培を人民に推奨するよう命じられている(『続日本紀』)。蕎麦の栽培が、干害に対する救荒作物として奨励されていたことがうかがえる。

 蕎麦が干害に強いという認識は、中国からの知識の導入が背景にあるとも指摘されている。中国で最初に蕎麦の記載が出て来るのは6世紀に編纂された『斉民要術』で、蕎麦の栽培法や収穫の注意が記載されている*1。また唐の初めの713年(和銅六年)に死去した孟銑の著書『食療本草』にも、蕎麦に関する記述が見られる。

中世の栽培・流通

  中世、寒冷期による不作のためか、蕎麦の栽培、流通が史料に多くみえるようになる。山城国久世荘では元亨四年(1324)の年貢公事の文書に「麦七石八升八合 秋畑蕎麦代五石九升五合」とみえる(「東寺百合文書」)。蕎麦の年貢については、以後も「東寺百合文書」の中にしばしば現れるようになる。

 建武元年(1334)の備中国新見荘でも蕎麦が年貢となっている。同年に作成された「地頭方損亡検見并納帳」には、新見荘の二日市庭において、年貢として納入された米、大豆、粟、蕎麦が売却されていたこともみえる。

 文安二年(1445)には、畿内の玄関口である兵庫に各地から蕎麦が運ばれている。讃岐国からは観音寺の船が10石、宇多津平山の船が2石の蕎麦を積載しており、備前国からも伊部船の積荷に蕎麦があった『兵庫北関入船納帳』)。

 室町期には蕎麦は贈答にも用いられるようになる。京都相国寺鹿苑院蔭涼軒主・季瓊真蘂は、永享十年(1438)三月、林光院に松茸折一合と蕎麦折一合を贈っている(『蔭涼軒日録』)。寛正四年(1463)七月には、公家の山科家が蕎麦を御所に献上している(『山科家礼記』)。

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蕎麦料理  

 料理としては『山科家礼記』応仁二年(1468)三月八日条に「そはかゆもち」がみえ、現代の蕎麦がきのことと考えられている。大和国奈良興福寺の多聞院英俊の日記である『多聞院日記』にも「ソハカイモチ」が登場。文禄四年(1595)十二月四日条では、「太閤ソハカイモチ好也」として細川幽斎の歌を載せている。

 また『蔭涼軒日録』延徳元年(1489)十二月二日条には「蕎麦餅」がみえる。これは蕎麦粥よりも硬めに練って丸めたもので、蕎麦団子に近いとみられる。寛永十四年(1637)五月には、斎膳に蕎麦の葉を和えたものを添えたこともみえる(『鹿苑日録』)。

蕎麦切り

 正保四年(1657)刊行の『毛吹草』には、「信濃の国、蕎麦きり、当国より始まるという」との記述がある。その真偽は不明ながら、蕎麦切りの史料上の初見も信濃国となっている。

 天正二年(1574)二月、信濃国木曽の定勝寺(長野県木曽郡大桑村須原)では仏殿などの修理を始めており、その「番匠作事日記」の中に、「徳利一ツ、ソハフクロ一ツ千淡内振舞 ソハキリ 金永」という記述がある(「定勝寺文書」)。竣工祝いに千村淡路は蕎麦一袋を寄進し、金永という人物は、蕎麦切りをふるまったことが分かる。

 なお江戸の町における蕎麦切りは、近江多賀神社の社僧・慈性が慶長十九年(1614)二月に江戸の常明寺で「ソバキリ」をふるまわれた記録が初見とされる(『慈性日記』)。

 寛永二十年(1643)に印刷刊行された『料理物語』には、蕎麦切りの作り方について下記のように記されている。

めしのとり湯にてこね候て吉。又はぬる湯にても又豆腐をすり水にてこね申事もあり。玉をちいさうしてよし。ゆで湯すくなきは悪しく候。

煮へ候てから、いかきにてすくひ、ぬる湯の中へ入れさらりと洗ひ、さて笊に入煮へ湯をかけ、蓋をしてさめぬやうに又水けのなきやうにして出てよし。

汁はうどん同前。其上大根の汁加へ吉。花鰹・おろし・あさつきの類、又からし・わさびも加へよし

 江戸初期の蕎麦切りは、飯のとり湯(おも湯)や豆腐をつなぎにして、蒸す蕎麦切りだった。今でいう生蕎麦だったことが分かる。

参考文献

  • 保野敏子 『そば学大全』 平凡社 2002
  • 小林尚人 「『麺類の歴史を訪ねて』ーわが国の粉食文化は麺類ではじまるー」 特別ゼミナール「寺方蕎麦研究会」学習メモ 2010

雑穀 ざるに盛った国産のそばの実 from 写真AC

そば畑 そばの花 from 写真AC

*1:ただし『斉民要術』において、蕎麦は巻頭の「雑説」に出てくるのみであり、また「雑説」自体も南北朝期の末期(6世紀末頃)に付加されたものと考えられている。