戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

長浜 ながはま

 琵琶湖の北東岸に接する港町。越前国へと通じる北国街道が通る水陸交通の要衝に位置した。戦国期、長浜城を築城した羽柴秀吉の城下町として栄えた。

京極家臣今浜氏

 秀吉の城下町建設以前、長浜は「今浜」と呼ばれていた。南北朝期以来の近江守護である京極氏、および同氏の家臣・今浜氏の拠点であった。

織田氏による北近江統治

 戦国期、湖北一向一揆は、浅井氏と同盟を結んで織田氏と戦った。同一揆の主力である十か寺衆のうち、五か寺は現在の長浜市域にあたり、当時の今浜周辺は同一揆の中心地であったと思われる。

 浅井氏滅亡後、天正八年(1580)の段階でも、十か寺衆は織田氏に敵対しており、織田氏にとっては江北統治における大きな課題だった。旧浅井氏領を得た羽柴秀吉が、今浜に本拠を移した背景には、この十か寺衆に対する監視があったともされる。

羽柴秀吉による城下町建設

  天正二年(1574)、羽柴秀吉は平方など近隣所村から多くの住民を徴発し、今浜で築城および城下町の建設を開始する。前述の政治的な背景に加え、今浜における琵琶湖水運の利用といった流通掌握上の利便もあったと思われる。

 城下町建設に伴い、今浜は「長浜」と改名された。小谷から強制移転させられた大谷市場町や郡上町などの町を主体とし、平方や箕浦などからも商人が集められて、急速に町建てが行われた。

 『近江国輿地志略』に記された長浜の町名は52を数え、戸数は天正末年には120軒であったいう。大きく発展した長浜の様子がうかがえる。

参考文献