室津沖約10kmの播磨灘に浮かぶ家島諸島の中心である家島の港町。古くから瀬戸内海航路の停泊地として利用されていた。神武天皇が瀬戸内海航行中に停泊し、「波静かにして家の中に居る ようようである」と言ったことから「家島」の名がついたという伝承がある。
古来からの停泊地
『万葉集』の中には、天平八年(736)、朝鮮・新羅に派遣された使節の和歌が収録されており、その中に家島の名がみえる。既にこの頃には、瀬戸内海航路の停泊地として利用されていたと思われる。
治承四年(1180)三月、高倉上皇の厳島参詣に同行した土御門通親は、室の泊の向かいに「いゑしまといふとまり」があることを記している。さらに筑紫(九州)に向かう船は、この家島に停泊するとしている(『高倉院厳島御幸記』)。
先述の遣新羅使の航路からも、家島が九州など遠方を目指す船舶により利用されたことがうかがえる。
家島の海運
室町期、家島には瀬戸内海水運に関わったとみられる船の所属も確認される。文安二年(1445)における関税台帳『兵庫北関入舩納帳』によれば、 この年の正月、兵庫北関にナマコ200合を積んだ船が入港している。ナマコは家島近海で採れたものと推測される。家島船は、このような海産物を兵庫や周辺各地に運んでいたものと思われる。
参考文献
- 山内譲 『中世瀬戸内の旅人たち』 吉川弘文館 2004