戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

アデン Aden

 アラビア半島の南端、紅海の入り口を扼す要衝に位置する貿易都市。古くからインド洋交易で繁栄した。

インド洋交易で繁栄

 1世紀頃成立の『エリュートラ海案内記』にみえるアデンは、既にアラビア産香料の集散地であるとともに、インド産香料の主要な中継港であった。9世紀後半に成立したイブン・フルダーズベの『諸道路と諸国の書』でも、「竜涎香、沈香、麝香やシンド、 インド、中国、ザンジュ(東アフリカ・ザンジバル周辺)、アビシニア、ペルシア、バスラ、ジッダ、クルズムなどの物産を入手できる」と記されている。

 アデンは12世紀以降、本格的に発展したといわれる。1隻で課税対象額が8万ディナールに及ぶ大型船が、毎年70~80隻停泊したという。15世紀前半には、中国・明朝の派遣した遠征艦隊の分遣隊も阿丹国(アデン)を訪れている。

ポルトガルとの攻防

  16世紀初め頃、トメ・ピレスは『東方諸国記』の中で、アデンについて「城壁や塔や堡塁や砲塔のあらゆる建造物、銃眼、多くの火砲および多くの戦士によって堅固に守られている」としている。

 1513年(永正十年)3月、アデンの城塞は、アフォンソ・デ・アルブケルケ率いるポルトガル艦隊の攻撃を撃退した。ピレスによれば、全イスラム教徒が、ポルトガルによるアデン占領を阻むためにアデンを援助していたのだという。

16世紀の交易状況

 また当時のアデンには豪商が住み、カイロやジッダの商人やユダヤ商人など外国からの居留民も多く住んでいた。『東方諸国記』によれば、アデンの商人たちはインドのカリカットに拠点を持っていた。さらに、多量の阿片や洋茜、真珠、アラビア馬などを携えてベンガルペグー、マラッカなどで交易を行い、インディゴやチョウジ、ニクズク、白檀、麝香、絹、陶器といった商品を持ち帰っていたという。

参考文献