大麦から作られる発泡した発酵飲料。発酵作用により、わずかながらアルコールを含有していた可能性がある。イエメンのラスール朝では宮廷でも飲用されていた。
大麦から作られる飲料
13世紀、『アラビア語大辞典』を編纂したイブン・マンズールは、フッカーゥは大麦から作られる飲料であり、その上に泡が生じることからフッカーゥ(泡だったもの)と呼ばれる、と述べている。
また、イエメン・ラスール朝のスルタン・ムザッファルは、フッカーゥが主として大麦から作られる「酩酊物ではない飲料」と明記。その材料について、フッワーリーと呼ばれる小麦パンやミント、セロリ、配合香料であるアファーウイーフを挙げる。薬効として、利尿作用、腎臓や脳の膜、神経への害を記述している。
ラスール朝宮廷の飲料
ラスール朝では、宮廷組織がフッカーゥの製造に関わっていた。13世紀の行政文書集には以下の記事が残されている。
飲料館用、スービヤーとフッカーゥ
白砂糖:20ラトル、蜂蜜:20ラトル、卵:10、亜麻布:1ラトル...
フッカーゥおよびスービヤーが、砂糖や蜂蜜が入った甘い飲料であったことがうかがえる。
ラスール朝の宮廷組織では、ペルシア語で「館」を意味する「ハーナ」を名称中に有する諸組織が存在し、それぞれが専門とする物品の調達・管理を行っていた。各地から送られた宮廷食材は、厨房および飲料館で調理され、王族のもとに料理として給されたという。
1392年(明徳三年)、スルタンの息子たちの割礼式の際に催された宴席では、食事と砂糖菓子を食べた後、「クルミやアーモンド、干しブドウ、ブドウ、スービヤー、フッカーゥ、ピスタチオ、ヘイゼルナッツなどがたくさんある宴席」を人々が楽しんだとある。フッカーゥが食後に嗜まれた飲料であったことが分かる。
その製造方法
13世紀に書かれた、エジプトやシリアの料理知識を含むと言われる料理書『美味しい料理と香料の説明に関する友との絆』には、フッカーゥの詳しい作り方が以下のように記されている。
フッカーゥ・マドジューズ(madjūz)
(大麦を)芽吹かせ、乾燥させ、粉にする。小麦粉などを1カイルで、二度加える。それから甕に入れる。大きな鍋で水を激しく沸騰させ、甕に注ぐ。
一晩覆いをかけると、蒸気がでてくる。別に水を沸騰させ、甕の縁に至るまで注ぐ。三日間覆いをかける。
覆いをとり、それが澄んでいるのを確認する。好きなだけ取り、そのなかへミントを切ったり、レモンを搾ったり、ヘンラーダや少量のザクロの実を切ったりする。それから一晩置く。
朝、砂糖や干しブドウ、シロップで甘くする。そして用いる。甕については、最初の分量から減らないように、冷たい水を取り出した分をそのなかに入れる。そこから取り出したり追加したりする。その底にあるもの(麦芽など)がその上の方に上がってきたら、新しくする。
上記の記述から、フッカーゥとは、穀物を糖化あるいはわずかにでもアルコール発酵させた後、甘味で味付けした飲料であったと考えられるている。
これは10世紀のイブン・ワッラークの『料理と食養生の書』や14世紀に成立したエジプトの料理書『素晴らしい料理の宝庫』に掲載された大麦を用いたフッカーゥの製法と類似する。なお、両書を英訳したナスルッラーフは、料理書にもとづいて製造すれば、発酵期間が短いために酩酊作用を有するほどのアルコール飲料にならないとの考えを示している。
発酵飲料と酒の狭間
とはいえ、フッカーゥは禁止対象となる場合もあった。1005年(寛弘二年)、エジプト・ファーティマ朝のカリフ・ハーキムによって禁フッカーゥ令が出されている。また9世紀のアラビア語文学者イブン・クタイバは、火が通されていないことを理由にフッカーゥをハラーム(イスラム教の教えで禁じられているもの)として取り扱った例を挙げている。これらのことから、フッカーゥが酒と認識されていた可能性がうかがえる。
一方で大麦を原料としたアルコール飲料であるビールに相当するものが、「ミズル」という別の単語で存在する。また前述のように、料理書の記述にもとづけば十分なアルコール発酵は見込めないとされる。
スンナ派のハディース集では、ナツメヤシやブドウから作られるナビーズ(アルコール飲料)を飲んでもよい期間を、製造から3日目までとするものもみられるという。これは時間の経過によってアルコール発酵が進むことを危惧するものであり、逆にいえば、人々が飲んだ際に酩酊するほどでもないアルコール飲料であれば、許容され得たとする見解もある。
参考文献
- 馬場多聞 「中世のイエメンと酒あるいは発酵飲料」(『立命館文学』681 2023)