戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

スービヤー sūbiyā

 小麦粉から作られる発酵飲料。酒に分類される場合もあった。また米や米粉から作るスービヤーもあった。イエメンのラスール朝では、甘味や香味が加えられたものが宮廷で飲用されていた。

小麦粉から作る発酵飲料

 13世紀、『アラビア語大辞典』を編纂したイブン・マンズールおよび18世紀のムルタダー・ザビーディーは、スービヤーについて、エジプトでよく飲まれる、小麦や米から作られるナビーズの一種、すなわち酒であるとしている。

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 13世紀に書かれた、エジプトやシリアの料理知識を含むと言われる料理書『美味しい料理と香料の説明に関する友との絆』には、イエメン風スービヤーの作り方が以下のように詳しく記載されている。

イエメン風スービヤー

白砂糖をできる限り薄いシロップにする。上質の小麦粉を用いて塩を入れない濃い粥をつくり、冷まし、容器へ移し、手を泡立て、おたまで一杯ずつシロップをかける。泡立てるほど、その泡がよく強く立つようになる。

それに、よく振ったごく普通のフッカーゥをかける。エジプトではそれにアクスィマーをかける。薄くなれば、シロップや蜂蜜を保存したことがある容器に入れる。そこに束ねたたくさんのヘンルーダを入れる。同様に、ミントや配合香料、バラ水、麝香、大量の配合香料も入れる。温かい場所に置き、大きく広い覆いで覆う。すると、そのすべてが泡状になる。泡が消えたなら、フッカーゥを再度かけ、飲む。

分量の記述は書かれないが、すべて、甘さや滑らかさ、辛さといった味によって決められる。なお泡が立ったならば、沈香や竜涎香、イエメン風ハックを入れた容器を燻し、そのなかに入れ、飲む。

 上記の内容から、スービヤーは、小麦粉でつくったお粥を、酵母菌を含むとみられるフッカーゥやアクスィマー(フッカーゥ同様の発酵飲料と考えられる)をスターターとして用いてアルコール発酵させることで得られた。

 『美味しい料理と香料の説明に関する友との絆』にはほかにも、米や米粉を用いたスービヤーや、イエメン風シュシュというやはりフッカーゥを用いた発酵飲料の記事が含まれるという。

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ラスール朝宮廷の飲料

 ラスール朝では、宮廷組織がスービヤーの製造に関わっていた。13世紀の行政文書集には以下の記事が残されている。

飲料館用*1、スービヤーとフッカーゥ
白砂糖:20ラトル、蜂蜜:20ラトル、卵:10、亜麻布:1ラトル...

 前述のイエメン風スービヤーの作り方をふまえると、砂糖や蜂蜜などの甘味料とともにバラ水や麝香、沈香、竜涎香など香料もふんだんに使われていたとみられる。イエメンの人々が発酵による風味や酸味に加えて、甘味や香味を求めていたことがうかがえる。

 1392年(明徳三年)、スルタンの息子たちの割礼式の際に催された宴席では、食事と砂糖菓子を食べた後、「クルミやアーモンド、干しブドウ、ブドウ、スービヤー、フッカーゥ、ピスタチオ、ヘイゼルナッツなどがたくさんある宴席」を人々が楽しんだとある。スービヤーがフッカーゥなどとともに食後に嗜まれた飲料であったことが分かる。

 13世紀の行政文書集にはほかにも、スービヤーやフッカーゥと類似した発酵飲料と目されるスィカーゥが現れる。ラスール朝の王都タイッズ近郊のサァバートにおいて、ラスール朝の近臣や王族の女性、盥館や飲料館といった機関で働く人々、駄獣を管理したり漬物をつくったりする人々に対して、容量単位ラトルで測られたスィカーゥが分配された。ここでは、スィカーゥが「手当て」と称されている。

参考文献

  • 馬場多聞 「中世のイエメンと酒あるいは発酵飲料」(『立命館文学』681 2023)

アジア図(メルカトール・ホンディウス)
出典:古地図コレクション(https://kochizu.gsi.go.jp/
※イエメン周辺を切り取り加工しています

*1:ラスール朝の宮廷組織では、ペルシア語で「館」を意味する「ハーナ」を名称中に有する諸組織が存在し、それぞれが専門とする物品の調達・管理を行っていた。各地から送られた宮廷食材は、厨房および飲料館で調理され、王族のもとに料理として給されたという。