戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

乳香(南アラビア) にゅうこう

 ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から滲み出る樹脂。アラビア語ではルバーン(lubān)と呼ばれる。その生育地は、南アラビアや対岸のソマリアソコトラ島にほぼ限られる。香料や薬として広く用いられた。

南アラビアの特産品

 イスラーム期以降の書かれた史料では、南アラビアと港町シフルが、乳香の産地や積出港として頻出する。10世紀に没したイブン・フルターズビフは、オマーンからメッカに向かう海岸路の説明において下記のように述べている。

それからシフルへ。そこは、乳香の地である。ある詩人は語る。シフルへ向かえ、ナツメヤシや乳香を見つけることなくオマーンにとどまるな

 シフルやその周辺の南アラビア地域は、乳香の産地として他国の文献にもみえる。1178年に中国北宋の周去非が著した南海諸国の地理書『嶺外代答』には、麻離里(ミルバート)が乳香を産する地として記録されている。南宋の趙汝适が1225年ごろに著した地理書『諸蕃志』にも、乳香の産地として麻羅抜や施曷、奴発が挙げられており、それぞれミルバートとシフル、ズファールに比定される。

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 また10世紀半ばから10世紀後半の状況を反映する『インドの驚異譚』は、「その樹木が見られるのは、ハースィクの境界からハーリージュの境界地帯まで、全体で約150farsakh(900Kmほど)で、それ以外の場所には一切ない」と述べる。これはおよそ東経51度と55度の間に位置するという。

 なお20世紀前半に南アラビアを踏査した人物の記録には、東経53度と55度21分の間に乳香の樹木が生育すると述べられている。両記録の間に東経にして2度のずれがあるのは、気候変動等により、アラビア半島における植物の生育範囲が減少した為ともされる。

乳香交易の利益

 13世紀に南アラビアのズファール地方を支配したハブーディー朝は、ミルバートにおいて乳香を独占して集荷し、大きな利益をあげていたという。この専売政策は1279年(弘安二年)以降にこの一帯を支配するようになったラスール朝にも引き継がれた。

 13世紀の状況を伝える行政文書集には、以下のように記される。

乳香は、すべての時代において適用される典範にもとづき、高貴なる政庁へのみ売却される。(その典範によれば)1 ブハールは7.5ディナールである

 14世紀前半に没したイタリア・ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロも、シフルの支配者による乳香の専売に言及している(『東方見聞録』)。また『東方見聞録』には、1ミスカール(4.5グラムほど)を10ディナールで支配者が購入し、60ディナールで商人へ売却していた旨の記述もある。

 一方でラスール朝行政文書集『知識の光』には、ラスール朝の王族がアデンより1ラトルあたり1/3ディナールから5/4ディナールで購入した記事が見られるという。ラトルをブハールへ換算すれば、1ブハールがおよそ100~375ディナールで人々へ売られたこととなる。

 前述の典範のように1ブハールを7.5ディナールで買い上げていたとすると、ラスール朝が乳香から得た利益は莫大なものであったと推定される。

 なお10世紀のバクダードの様子を特に反映していると見られる『アラビアン・ナイト』には、乳香を扱う香料商の記述が散見される。南アラビアからやって来た乳香を扱う香料商が、特に珍しい存在ではなかったことがうかがえる。

乳香の用途

 乳香は主に焚香料として用いられたと考えられている。

 15世紀前半のマムルーク朝スルタン・ジャンマクは、政談の場において乳香を焚いていたという。またアデン港を1220年代に訪れたイブン・アルムジャーウィルは、アフリカ系女奴隷の香り付けに乳香が使われていたことを報告している。

 また8世紀前半のウマイヤ朝カリフ・ヒシャームの母親は、幼少の頃、噛んで柔らかくなった乳香で人形を作り、名前をつけて遊んだという。夜の情事において、乳香と砂糖を混ぜ合わせたものを口臭消しに用いた例も見られる。

 ほかに、インド洋で活躍したダウ船の縫合に用いる縄には、乳香の粉とツノザメの油を塗った滑り止めの釘が付けられていたとされる。また1405年(応永十二年)に没したダミーリーは、動物に関する主著の中で、モグラの皮肉と雄の乳香、阿片、硫黄、アンモニア、蜂蜜を混ぜることで、攻撃的な匂いを発する獣除けが作られると述べている。

乳香の薬効

 13世紀に没したイブン・アルバイタールが著した薬学書には、乳香が有効とされる病気や怪我として、ひょうそや皮疹、火傷、凍傷、頭痛、ふけ、脱毛症、耳のなかの傷、目のなかの潰瘍、目の充血や淋病、乳房の炎症、心臓の動悸、食欲不振、胃痛、消化器官や臀部の潰瘍、下痢、赤痢、便秘などがあげられてる。

 乳香は水とともに飲用したり、粉にして傷口に塗ったり、その他の様々な物品とともに混ぜて用いたりすることで、様々な症状に対してよい効果があるとされた。

 14世紀に活躍したイブン・アルカイイムは、イスラーム預言者ムハンマドによる「家で乳香とタイムを焚け」との言を引きつつ、乳香が物忘れや心臓の強化、知性の強化によい旨を説明している。

 ほかにも乳香は、伝染病対策においても有効とみなされていた。11世紀のエジプトで活躍した医師イブン・リドワーンは、伝染病が蔓延する原因を空気の腐敗に求め、「タールの香りやマスチック、白檀、ストラックス、没薬、乳香、乳香の樹皮といった焚香料が、この状況において効果的である」と述べている。

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 また同時代に生きたネストリウス派キリスト教であるイブン・ブトラーンは、乳香を飲用すると天然痘や丹毒、紅斑に効果があると考えた。

 なお、現在の成分分析によれば、乳香にはα-ピネンやβ-ピネン、リモネンといった抗菌作用や抗ウイルス作用、抗アレルギー作用を有する物質が含まれていることが明らかになっている。

参考文献

  • 馬場多聞 「中世イスラーム世界における乳香」(『嗜好品文化研究』2017巻2号 2017)
  • 馬場多聞 「乳香のはなし」 (『中東協力センターニュース』 2020)

フランキンセンス(乳香) from 写真AC