戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

大麦パン(中東) おおむぎぱん

 大麦を材料としたパン。中東地域では、古くから大麦が基礎食品として利用されていた。大麦パンも9・10世紀の文学作品において、カリフが狩猟などで遠出した先での農民やベドウィンの食物として登場する。10世紀の『ナバティアの農書』は大麦パンを農民に推奨するが、一方で都市部では忌避する考え方もあった。

預言者の食べ物

 預言者ムハンマドの時代のヒジャーズ地域(アラビア半島の紅海沿岸地域)では、大麦が主要な穀類の一つであったことが年代記類に記録されている。そして大麦パンは、小麦パンと同様に預言者ムハンマドの時代のメディナ、メッカで日常食であった。

 9世紀、ハディース預言者ムハンマドの言行録)を研究したブハーリーの『真正集』には、預言者の会食の際に大麦パンが供されていたことが記されている。

或る仕立屋が神の使徒を自分が用意した食事に呼んだ時、わたしも一緒に行ったが、彼は大麦のパンと、カボチャと干肉の入ったマラク(澄ましスープ)を差し出した。

 なお預言者たちの日常では、小麦パンを食べる機会は稀であった。このことは、「預言者メディナに移ってから死に至るまで、彼の家族は三日続けて小麦のパンを食べなかった」というハディースから分かる。

農民の食べ物

 大麦は、小麦と並び中東地域および地中海沿岸地域において、古代からの基礎食品であったとされる。しかし9世紀以降のイスラーム期になると、大麦やその食品の記録は、小麦のものと比べて格段に少なくなるという。

 その理由として、アラビア語文献資料では、圧倒的に支配者層・富裕者層の食を扱ったものが多いこと、そして大麦は小麦より安価かつ栄養価の低い穀物と認識されていたこと、の二点が挙げられている。一方で、大麦はイスラーム期においても依然として主要な食品・薬品であり続けた。

 10世紀の地理学者マスウーディーの『黄金の牧場』には、アッバース朝第三代カリフのマフディーが農民から大麦パンと小エビの塩漬けとニラネギを提供され、これらをたくさん食べて何一つ食べ残さなかった、という逸話がある。ここでは大麦パンなどの農民の食事は侮蔑的には描かれておらず、貧しい農民と都市民の食においては、断絶や偏見はなかったといわれる。

 実際、小エビの塩漬けやサリード(パン粥)などの農民食の料理法は、10世紀半ばにアル・ワッラークが編纂したアッバース朝宮廷の料理書『料理と食養生の書』にも確認できる。

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 一方で、同書のパンの材料には小麦や他の穀物や豆類(米やモロコシ、ヒヨコ豆、ソラ豆、レンズ豆)があるのに対し、大麦の記載がない。このことは、当時の支配者層や知識人層の人々が、大麦パンを自分たちが口にする食品として認知していなかったことを示しているとされる。

農民に最適のパン

 現存する最古の農書である10世紀の『ナバティアの農書』の編者イブン・ワフシーヤは、4つの大麦製品、すなわち大麦パン、大麦水、粒大麦粥、大麦発芽発酵飲料(ダシーシュ)を農民の滋養品であるとし、大麦パンは農民に最適のパンであるとした。

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 この書の農民の衣食住の管理に関する章「管理請負人の仕事について」の指示には、「この地域(イラク南部地域イクリーム・バービル)の農民は、オーブンで焼いた脱穀大麦のパンを食べるのがよい。また薄いパンが最適である。乾燥させ、彼らに出す」とある。

 大麦パンの食べ方については、以下のように指導している。

(農民は)太陽のもとで働いている。その熱で体をこわす。一度に食事をさせずに、日中三回ないし四回の食事を少しずつ、小さな一口で食べさせる。そうすれば、胃での消化は促進され、食事後にすぐにそれ(消化)が終わる

 続けて「彼ら(農民)が望むのならば、水に浸し塩を少々入れる。浸したら、彼らにとって、美味しく体に最適なものとなる」と調理法を示す。そして「それ(大麦パン)をちぎり入れたスープは咳に良い。この代替え品はない」として、咳止め効果にも言及している。

有害な食品

 一方で大麦を有害とする考え方が当時のイスラーム医学理論にはあった。この医学は、古代ギリシャ医学理論、特に2世紀アレクサンドリアの医師ガレノスの理論を踏襲し発展させたものであった。ガレノスの提唱した医学理論は、あらゆる生物(人間・動物・植物)には「熱」・「冷」・「乾」・「湿」の四つの要因の組み合わせに由来する固有の「性質」があるという基本原理に基づいていた。そして「熱」・「冷」・「乾」・「湿」の四要素がバランスのとれた状態、すなわち中庸になれば、完全で理想的な健康状態が生まれるとされた。

 ガレノスは、大麦を「冷・乾」とし、「小麦より栄養価の低い」穀物であると評価。大麦には利尿・下剤・解熱の薬効がある一方で、「胃腸内にガスを生じさせる」という鼓腸(腹部膨隆)の有害作用があるとした。

 そして大麦食品として、大麦パンと炒り大麦粉、そして大麦スープ(大麦水)の三つを取り上げ、特性を説明。大麦パンについては、その栄養価の少ない点と下剤効果を指摘している。

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 10世紀の文人ワッシャーは、ガスを出す食品は、庶民の食べ物であり、「優雅で洗練された人」は避けるべきとした。大麦の食品は農民には有益な滋養品・薬とされたが、大麦パンは、都市民にとって有害作用がある忌避すべき食品であったことがうかがえる。

 ただし大麦パンの有害作用は、その「冷・乾」と対にある「熱・湿」の食品(たとえば油脂類)と一緒に食べることで回避できるとされた。9世紀の医師アル・ラーズィーは、「「冷」傾向の人は避けるべきだが、食べる必要がある場合には、蜂蜜やナツメヤシ、羊の尾、香辛料を多く入れたイスフィーズバージュ料理(チーズ入り肉シチュー)と一緒に食べるように」と記述。10世紀、ブワイフ朝に仕えた医師マジュースィーも、「油脂食品、たとえばサムナ(澄ましバター)、バター、あるいはイスフィーズバージュのなかにいれて食べること」を推奨している。

参考文献

  • 尾崎貴久子 「中世イスラーム世界の大麦と大麦食品」(『オリエント』58 2016)

イブン・ワフシーヤ 『ナバディアの農書』 パブリックドメイン

File:The Nabataean Agriculture.png - Wikimedia Commons より