ペルシャ(イラン)発祥の菓子。アラビア語に入りファールーザジュと呼ばれた。でんぷんや豆粉に蜜や砂糖を加えに詰めたもの。冷まして大皿に盛り酥脂(バター類)をかけて食べられた。中国にも伝播し「八耳搭」と呼ばれた。
イスラーム世界の菓子
10世紀の地理学者イブン・ハウカルは、この菓子はイスラーム勃興以前に巡礼者の要望により、メッカに持ち込まれたと伝えている。また11世紀後半の歴史家ハティーブ・アル・バグダーディーの『バグダード史』によれば、この菓子を客に振る舞う主人は「洗練された舌と教養を持つもの」と賞賛されたという。
パールーダのアラビア語名であるファールーザジュは、10世紀半ばにアル・ワッラーク編纂したアッバース朝宮廷の料理書『料理と食養生の書』に10種の製法が記載されている。13世紀成立のアル・バグダーディの『料理書』(13世紀成立)には2種に記載があり、材料をアーモンド粉、砂糖、バラ水としている。他にも『ムワッヒド朝期のマグリブ ・アンダルスの料理書』(13世紀成立)に3種など、10世紀から13世紀までの料理書に製法が記録されている。
またファールーザジュは都市のスーク(市場)でも販売されており、12世紀にイブン・バッサームが編纂したヒスバの書(市場監督官の手引書)にみえる。
なおイスラーム世界ではスークでも多種類の菓子が菓子屋で販売されていた。同じく12世紀にアル・シャイザリが編纂したヒスバの書では、「菓子は種類が豊富で、各種の菓子の作り方や材料の分量を定めることができない」と書かれている。
東アジアへの伝播
13世紀、元朝時代の中国にもパールーダは伝わっていた。撰者未詳の家庭百科全書『居家必用事類』では「八耳搭」と漢字音訳され、回回食品の一つに挙げられている。「回回」はムスリムやウイグルを指す呼称であった*1。作り方は以下の通り。
水を大きな碗に入れて沸騰させる。蜜を0.5斤加え、泡をとる。6両の豆粉を用いてペーストを作り、鍋に入れる。濃さを確認し必要に応じて水を加える。よく煮えたら、底に香油を塗った大皿に盛りつけ、酥脂(バター類)をかけ、ナイフで切り分けて食べる。