戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

トゥトゥマージュ Tutumaj

 四角形や円形に切った餃子の皮のような小麦麺。あるいはそれを用いた料理を指す。元代の中国では「禿禿麻食」あるいは「禿禿麻失」と表記された。茹でたトゥトゥマージュに、ニンニクとミント入りヨーグルトをかけた料理などが知られる。

中央アジアのパスタ

 トゥトゥマージュに関するイスラーム世界での最も古い記録は、11世紀のカラハン朝の学者カーシュガリーが著した『トルコ語辞典』とされる。そこには「トルコ人によく知られたもの」という記述があり、トゥトゥマージュが中央アジアのトルコ族の食品であったことが分かる。

 13世紀半ばに編纂されたシリア地域の料理書『友人との絆』には「トゥトゥマージュの薄さのようになるまで生地をのばす」、「トゥトゥマージュにバターを塗る」という記述がある。これがアラビア語文献で最も古いトゥトゥマージュの記録と考えられている。14世紀エジプトの料理書『美味なる宝庫』でも「トゥトゥマージュの生地のように硬めに捏ねる」などの記述があるように、トゥトゥマージュはアラビア語料理書では練り粉の変形加工の具体例として用いられた。

 上記のことから、13、14世紀のマシュリク地域(エジプト以東の東アラブ地域)では、トゥトゥマージュは料理書の読者がその形や実体を想起できるほどに定着していた食品であったことが分かる。

 なお14世紀のイブン・シャーキル・アル=クトゥビーの本草書には「それ(トゥトゥマージュ)はトルコ語からアラビア語に入った言葉である」という記述がある。トゥトゥマージュがトルコ族の食品であるとイスラーム社会では認識されていたことがうかがえる。

四角形または円形の麺

 トゥトゥマージュの形状に関して、14世紀のクトゥビーは本草書の中で「イトリヤ(細長パスタ)の生地を四角形または円形に切りぬいたもの」と記述する。また16世紀の料理書の記述に「コップの口をその生地の上に押しつけて円形に(生地を)切り取る」がある。これらから、トゥトゥマージュは手のひら大程の薄く平たい円形もしくは四角形の麺であったと分かる。

 なお16世紀の医学者アル・アンターキーは「イトリヤ(細長パスタ)の生地を丸く切った場合、ペルシャ人にはブグラ bughra と呼ばれ、トルコ人にはトゥトゥマージュと呼ばれる」と記述している(『薬撰録』)。麺を指す名称は、トルコ地域とイラン(ペルシャ)地域では異なっていたことが分かる。

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トゥトゥマージュ料理

 15世紀のシリアの料理書にトゥトゥマージュの調理法がみえる。

トゥトゥマージュ:練り粉を延ばし(形にきって)それを茹でる。上にヨーグルト、ミント、ニンニク、サムナ、揚げた肉をのせる。

シャシャブルグ:挽肉を用意する。それをトゥトゥマージュのような練り粉に詰める。火が通るまで茹でる。上にニンニク、ヨーグルト、ミントをおく

 トゥトゥマージュやトゥトゥマージュ料理であるシャシャブルグは、ニンニク入りヨーグルトをかけて食べられたことが分かる。

 また16世紀の法学者ダフラマーウィ―は、自己の食見聞を綴った『飲食品の美味しさについての精神の散策』において、トゥトゥマージュとシャシャブルクについて、以下のようにコメントしている。

(ニンニク料理)といえば、最初はトゥトゥマージュ、恐れずにうけいれよ。もしあなたがそれに陶酔し、喜びを得るならば、上にかかったバターを賞賛しろ。次にシャシャブルク、友よ、私はある日それに到達した(食べる機会を得た)。ところで、その時私は、その酸っぱさを知らなかった。手を伸ばして一口たべると、その(ヨーグルトの)酸っぱさにひどく驚いて、もう手を伸ばせなかった。

 ヨーグルトをかけて食べるシャシャブルクは大変酸っぱいもので、好きな人はやみつきになる料理として認識されていたことがうかがえる。

東アジアへの伝播

 中国においては、13世紀の元朝時代の文献からトゥトゥマージュが記載されはじめる。中国での調理法は、ヨーグルトで食する中東の食べ方とは異なり、炒めた肉と一緒に汁にいれて食べる、いわば肉スープかけ麺だった。

 当時の皇帝文宗のために編纂された忽思慧の食養書『飲膳正要』には「禿禿麻食」と漢字音訳され聖珍異撰(珍しい料理)の一つに挙げられる。また撰者未詳の家庭百科全書『居家必用事類』では「禿禿麻失」と漢字音訳され、回回食品の一つに挙げられている。「回回」はムスリムウイグルを指す呼称であり*1中央アジアから彼らが中国にトゥトゥマージュを持ち込んだことが想定される。

 トゥトゥマージュはさらに元朝の周辺国にも伝播した。高麗の漢語教科書『朴通事』には、大都(元朝の主都)から高麗にやってきた元朝使節団の使用人たちの食事として、「白麹」(上等な小麦粉)と「食」(餃子)で「禿禿麻食」(トゥトゥマージュ)を作ったことが記されている。

 トゥトゥマージュは元朝に住む回回人の日常的な食べ物であった。一方で都市に住む漢人は、トゥトゥマージュを蔑視する傾向があったらしい。元朝時代の戯曲に、以下のようなセリフがある(蔵晋叔『元曲選』)。

(戦乱でかどわかされて回回人の奴隷にされた江西人はつぶやいて)奴等の家で食わせるのはニンニクや臭いニラ、水答餅に禿禿茶食(トゥトゥマージュ)だ。喉なんか通るものか。おれが江南で食べていたのは、何よりも海の幸…肉いり豆腐に揚げ冬瓜。

参考文献

  • 尾崎貴久子 「元代の日用類書『居家必用事類』にみえる回回食品」(『東洋学報』88 2006)
  • 尾崎貴久子 「中世イスラーム世界のパスタ」(『オリエント』42 1999)

居家必用事類全集10集20卷 [13] 回回食品 禿禿麻失
国立国会図書館デジタルコレクション

居家必用事類全集10集20卷 [13] 回回食品 禿禿麻失
国立国会図書館デジタルコレクション

*1:元朝時代の中国では、「回回」はムスリムの呼称であり、他方ウイグルは「回鶻」あるいは音訳転写されて「畏吾兒」と称されることが定着したという。しかし両者は厳密に区別されていたわけではなく、時に「回回」と「回鶻」が混同されて、ムスリムウイグル両者を「回回」と呼ぶ場合があった。『居家必用事類』ではウイグル料理の河西肺も回回食品として挙げていることから、ムスリムウイグルを区別せずに「回回」と呼称していることが分かる。