甲斐源氏武田氏の祖である源義光(新羅三郎)から伝来したとされる鎧。安芸武田氏の重物。安芸武田氏滅亡後、大内義隆によって厳島神社に寄進された。
安芸武田氏の重物
延文四年(1359)七月、安芸国と甲斐国の両守護を兼任していた武田氏の当主信武が死去。甲斐国守護は長男の信成に譲られ、次男の氏信が安芸守護職を継承した。新羅三郎の鎧はこの時に氏信に分けられた可能性がある。
応安四年(1371)に今川了俊が安芸国守護に任じられて安芸武田氏は守護職を失うが、以降も安芸国中枢部を押さえ、南北朝期、室町期、戦国期と存在感を示した。その中で新羅三郎の鎧は、同氏の源氏、あるいは安芸守護職としての正統性を示す重要な象徴となったと思われる。
しかし天文十年(1541)、周防大内氏の攻撃により、本拠地の金山城が陥落して安芸武田氏は滅亡した。
厳島社家の野坂房顕は、武田氏滅亡後の「新羅三郎ノ鎧」の行方を『覚書』に記している。鎧は大内方の主将陶隆房から当主の大内義隆に献上され、同年五月十八日、義隆はこれを房顕を通じて厳島神社に寄進した。そして厳島神社の宝物として「小松殿(平重盛)ノ鎧」などが保管される寶蔵に納められたという(『棚守房顕覚書』)。
参考文献
- 河村昭一 『安芸武田氏(中世武士選書)』 戎光祥出版 2010
- 藤田直紀・編 『棚守房顕覚書』 宮島町 1975