戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

佐々木 刑部助 ささき ぎょうぶのすけ

 紀伊国西部の紀之湊(雑賀荘湊地域)の廻船商人。関東との交易を行った。

関東への廻船派遣

  天正十四年(1586)二月、相模の戦国大名・北条氏が同氏水軍の将・梶原備前守に発給した文書にその名がみえる。 この文書では、紀之湊の佐々木刑部助が「商売の為め」に北条氏領国に船を乗入れることについて、北条氏としては異議が無いことが伝えられている。

 このことから、佐々木刑部助が紀之湊を拠点とし、北条氏領国への海上交易に参入しようとする商人であったことがわかる。同時に紀伊国西部有田郡出身の海賊衆・梶原備前守と緊密な関係にあり、北条氏領国での商売については備前守が北条氏に口入していたことがうかがえる。

鉄砲隊を率いる

  『昔阿波物語』には、元亀三年(1572)に細川真之らの要請で阿波国へ渡海侵攻した紀州の鉄砲隊三千(雑賀衆)の「紀のみなとの大将分」が記されており、その中に「みなとの刑部」がみえる。この人物が佐々木刑部助であるならば、彼は紀之湊一帯を支配し、鉄砲隊と水軍を率いて傭兵活動を行った雑賀衆の有力者であった可能性が高い。

 雑賀衆鉄炮の大量運用を行い得た背景には、刑部助が行った様な遠隔地貿易があったのかもしれない。

参考文献