戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2021-04-16から1日間の記事一覧

那珂湊 なかみなと

太平洋に面する房総半島東岸に位置する港町。戦国期、国人・勝浦正木氏の本拠となり、また廻船の発着する海運の拠点でもあった。

勝浦 かつうら

太平洋に面する房総半島東岸に位置する港町。戦国期、国人・勝浦正木氏の本拠となり、また廻船の発着する海運の拠点でもあった。

倉賀野 くらがの

上野国西部の交通上の要衝。現在の群馬県高崎市倉賀野町。近世では烏川の最も上流の河岸が存在し、中山道の宿場でもあったことから、町場が形成されて繁栄した。町場の形成は中世に遡るといわれる。

佐貫八幡 さぬき やわた

内海(現・東京湾)への入口である浦賀水道の東側、染川河口部の鶴峰八幡宮門前に位置した港町。上総国西部の要衝・佐貫城の城下港であり、同時に対岸の三浦半島への渡航地でもあった。

富津 ふっつ

内海(現・東京湾)に突出した富津崎先端部(現・富津元州地区)の港町。古戸とも呼ばれた。六浦など対岸地域への渡航地として、内海交通の一端を担って栄えた。

市原八幡 いちはら やわた

下総国との国境付近、飯香岡八幡宮の門前に位置した港町。内海(現・東京湾)交通、および陸上交通の要衝として宿場、市場などと一体となって栄えた。

品河 しながわ

江戸湾の最奥部、目黒川(品川)河口部に位置した港町。中世、関東屈指の要港として江戸湾水運のみならず伊勢、紀伊方面など遠隔地との海運の中心を担って繁栄した。

神奈河 かながわ

内海(現・東京湾)西岸、帷子川の河口に開かれた港町。中世後期、品河とならぶ内海の主要港として栄えた。

六浦 むつら

内海(現・東京湾)に向かう天然の良港・平潟湾に面する港町。仁治元年(1240)に朝比奈切通が開削されて以後、関東の中心・鎌倉の外港を担って栄えた。

浦賀 うらが

三浦半島東岸の入江に臨む港町。内海(現・東京湾)水運の要港であり、戦国期、北条氏の水軍基地となった。

小田原 おだわら

戦国大名・北条氏の本拠・小田原城の城下町。上方と関東を結ぶ幹線道路である東海道が、甲州道と分岐する要衝に位置する。