駿河清水の廻船商人。戦国期、駿河の戦国大名・今川氏に中間として仕え、他国への使いなどを担った。
藤次郎に与えられた権利
藤次郎の名は、永禄三年(1567)三月十二日付の今川義元書状の発給先としてみえる。 この書状は清水に繋留している藤次郎の新船1艘を対象にして、清水、沼津、内浦、吉原、小河、石津、懸塚とその他今川氏分国中の港において、どんな荷を積んで商売をしたとしても、この船に限っては「帆役」、「湊役」、「出入役」、「櫓手立使」などの課役を免除するとしている。
藤次郎の活動
このとき清水では、藤次郎への役の徴収額をめぐって訴訟が起こっていた。義元の書状は、この訴訟の裁許として藤次郎に発給されたものであった。
義元書状ではこの特権について、藤次郎が日時を限らず、他国への使いとして今川氏に格別の奉公を行うことを表明したことに対する給付であるとしている。そのため時限的な臨時役であっても賦課してはならないこと、これにより藤次郎は自力で50貫文の商いができること、などが記されている。
つまり、藤次郎は今川氏の中間であると同時に、清水を本拠として少なくとも1艘以上の船を有する廻船商人だった。日常的に今川領国の各港や、場合によっては他国へも出向いて商売を行っていたとみられる。その海運力を今川氏に提供することで、各種の課役免除を付与される特権商人であったともいえる。