戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

大谷 織部丞 おおたに おりべのじょう

 石見国益田の国人・益田氏の家臣。益田氏の海上輸送を担った人物で、毛利氏から海関での通行料免除を認められている。

兵糧の海上輸送

 永禄八年(1556)三月、毛利氏奉行人の桂元忠と児玉就方が、大谷織部丞に宛て、書状を発給。内容は益田氏の兵糧輸送に関するものであり、一ヶ月中に200石船2艘について、毛利氏の海関における通行料を免除する旨、毛利氏直轄関・湯泉津の奉行人に申し渡したことを伝えている(「益田家文書」)。

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 当時、毛利氏は尼子氏の籠る出雲の富田城を攻めており、益田氏も参陣していた*1織部丞は、益田氏水軍の将として兵糧の海上輸送を担当していたと考えられる。

 益田氏は朝鮮の産物である虎皮を毛利氏への贈り物に用いたり、北海道産の昆布を用いた饗応を行っている。この背景には同氏の活発な海上活動があったと考えられるが、織部丞はその一端を担っていたのかもしれない。

毛利氏への使者

 また永禄末年頃、益田氏が進めていた長門国阿武郡江津(現在の萩市田万川町)の屋造について、毛利氏から中止要請が出されたことがあったらしい。この時「大織」(大谷織部丞)が「小源兵」(小河内源兵衛尉)とともに益田藤兼の名代として毛利氏に派遣され、益田氏の考えを伝えている(「益田家文書」)。

参考文献

  • 岸田裕之「石見益田氏の海洋領主的性格」(『大名領国の経済構造』) 岩波書店 2001

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温泉津港。毛利氏の直轄港の一つ。織部丞はこの港を含む毛利氏海関での通行料免除を認められた。

*1:少なくとも益田氏の有力親族である益田兼貴、益田氏被官・俣賀氏が出雲に滞陣している(「益田高友家文書」「俣賀文書」)