戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

パン pan

  日本の「パン」の語源はポルトガル語のpão、あるいはスペイン語のpanとされる。16世紀後半、日本に来航したポルトガル人あるいはスペイン人らによって、パンはその製法とともに伝わったと考えられる。

日本におけるパンの作り方

 江戸初期成立とみられる『南蛮料理書』には、以下のようにパンの製法が記されている。

一 はんの事
麦のこ、あまさけにてこね、ふくらかしてつくり、ふとんにつつみ、ふくれ申時、やき申也。口伝有

 小麦粉を甘酒でこね、発酵させて膨らませた生地を焼く。膨化にはイーストではなく甘酒を用いているところが特徴といえる。すでに日本の環境にあわせた製法が考案されていたことが分かる。

 享保三年(1718)に刊行された『古今名物御前菓子秘伝抄』には、「はん仕やう(仕様)」として、パンの製法についての詳細な記載がある。要約すると、まず小麦粉と甘酒で「ふるめんと」を作り、これに小麦粉、砂糖を加えて生地を作る。窯の中で大量の薪を燃やしてから生地を入れ、余熱で焼くとしている。

 なお上記の「ふるめんと」は、酵母を意味するポルトガル語のfermento(フェルメント)に由来するといわれる。

長崎のパン屋

 寛永二十年(1643)2月28日、長崎出島のオランダ商館長ピーテル・アントニスゾーン・オーフルトワーテルは、「パンを焼くことは日本人には禁ぜられたが、我らは奉行に願って昨日特に許された」と、日記に記している。

 日本ではキリスト教の禁教にともない、パンやワインが禁止されるようになった。しかしオランダ人にとっては主食であるため、長崎の町ではパンが焼かれ、オランダ商館に供給されたことが分かる。

 慶安二年(1649)8月4日付の、オランダ商館長ジルク・スヌークの『オランダ商館長日記』には、長崎におけるパンの納入価格について下記の記述がある。

パン屋から、小麦、その他の商館用品が皆値下げとなったので、向こう一年間、従前一匁に十箇のパンのかわりに、善く焼いた目方も違わぬもの十一半を納めると言ってきた。これで目方六十五匁のパンが百箇であったのが、百十五箇となるのである

 また寛成十一年(1799)成立の『楢林雑話』には、下記のようにあり、長崎のパン屋の年間利益をうかがうことができる。

蘭人常食にパンと云うものを用ゆ。長崎にこれを売ることを業とするものあり、パン屋と云。蘭人皆パン屋より買いて食す。パン屋年中の利二百両ばかりなりと云。

 なお享保五年(1720)に長崎の町人・西川如見が著した『長崎夜話草』には、長崎土産の南蛮菓子としてハルテケジヤアドカステラボウルなどとともに「パン」が挙げられている。日本人にも長崎土産としてパンが販売されていたことが分かる。

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パンの食べ方

 正徳二年(1712)成立の『和漢三才図会』巻105造醸類「蒸餅」の項に、次の記述がある。

按ずるに蒸餅即チ饅頭ニ餡無キ者也。阿蘭陀人毎ニ一箇用テ常食ト為ス。彼人呼ンデ波牟(パン)ト曰フ。
之ニ添ヘテ羅加牟(ラカン)ヲ吃(ク)ラフ。羅加牟ハ鰤魚肉ニ萬牟天伊賀(マンティカ)の油(豚の油也)ヲ粘(ツ)ケテ脯(ほしもの)ト為シ切タル片ナリ

 オランダ人がパンに添えて食べたという「羅加牟(ラカン)」は、豚肉の塩漬け、すなわちハムを意味する*1。また「萬牟天伊賀(マンティカ)」は、いずれもバターを意味するポルトガル語のmanteiga(マンティガ)、スペイン語 manteca( マンテーカ)に由来すると推定されている。

 さらに前述の『楢林雑話』には、以下のような記載もある。

パンの上にボートル(牛羊酪)を引き食す。又蜜を煎じて卵をかけて煮るをパンドウスと云。
パンを製するには小麦粉4升に醴酒1升ばかりを入てよくこね、銅器に入れ上下に火をかけてこれを焼く。かまぼこを製するが如し。それを切りて食するなり。長崎にて月餅又明日餅と云。

 オランダ人たちが、パンにボートル(バター)を塗って食べていたことがうかがえる。またパンドウスは、ポルトガル語のpão doce(甘いパン)に由来するとみられる。

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パンの語源

 日本における「パン」の語源はポルトガル語のpão、あるいはスペイン語のpanにあり、16世紀末頃の伝来とともに、この呼称が定着したとみられる。江戸期、日本で主にパンを食したのはオランダ人であったが、オランダ語でパンを意味するbrood(ブロート)は定着することはなかった。

 このため日本では「パン」の語源が不明となっていた。寛政十一年(1799)に刊行された『蘭説弁惑 磐水夜話』では、「「ぱん」といふは何国の詞か、いまだ詳ならず」とされている。

 また、「荷蘭(おらんだ)」では「ぶろふと」と言うとしてオランダ語が語源ではないらいしことに言及。オランダ隣国の「払郎察(ふらんす)」という国では「ぱいん」というそうなので、この語が転化したものではないかとの推測も記されている。

参考文献

  • 松尾雄二・崎村優也・永徳遥 「文献にみる長崎の室町時代以降の牛乳・乳製品について」(『畜産の研究』69巻6号 2015)
  • 中川清 「南蛮菓子と和蘭陀菓子の系譜」(『駒澤大學外国語部論集』58 2003)
  • 鈴木晋一・松本仲子(編訳注書) 『近世菓子製法書集成2』 平凡社 2003

出島鳥瞰図 1729年

*1:『楢林雑話』には「ブタの塩漬をハムと云う。漢名を臘乾(ラカン)ト云」とある。