戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

くしいと

 ポルトガル・スペインから日本に伝来した南蛮料理。魚肉や鶏肉、牛肉などを大根とともに煮込む。長崎では鯨肉で代用したという。ポルトガル・スペインのコジートやコシードと呼ばれる煮込み料理が原型であるとみられる。

イベリア半島の煮込み料理

 コジート(cozido)またはコシード(cocido)は、それぞれポルトガル語スペイン語で「茹でる」の意味の言葉であり、豆類と肉類を煮込んだ料理をさす。

 コジートは大鍋に牛の肩肉、塩漬け豚肉、鶏肉、ベーコン、ハムなどの肉類とたっぷりの水で煮込み、途中でガルバンソなどの豆類、蕪、セロリ、ジャガイモ、野菜などを大切りにして仕上げる。最初は煮汁にパスタを入れてスープとして飲み、その後にメインとして肉や野菜を食べるという。

 17世紀初頭にスペインのミゲル・デ・セルバンテスによって著された小説『才智あふるる郷土ドン ・キホーテ ・デ ・ラ ・マンチャ』の冒頭では、ラ・マンチャのとある村に住む郷士ドン・キホーテが「昼は羊肉よりも牛肉を余分につかった煮込み、たいがいの晩は昼の残り肉に玉ねぎを刻みこんだあしらえ」を食べていたとの描写がある。

 「羊肉よりも牛肉を余分につかった煮込み」は、コシードともされる。なお、当時は羊肉が高価であり、農耕等で使役した年老いた牛の肉を食べているドン・キホーテは貧しかったということになる。

日本に取り入れられた南蛮料理

 江戸初期成立とみられる『南蛮料理書』に「くしいと」がみえる。すでに16世紀末にはポルトガルまたはスペインから伝わっていたとみられる。『南蛮料理書』には、作り方が以下のように記されている。

一、くしいとの事、とりか、うをか、牛か、志々か、大こんまろに入て、ひともし、にんにく(こまかにきざみ)、かうらいこせう、つふこせういれ、ともに、そのままにくたかせ、はしにて、はさみきるほと、す、すこしさし、に申也。

 鶏、魚、、猪(または鹿)の肉と、大根をまる(輪切り)で入れて、わけぎ(葱)、ニンニクを細かく刻み、そのまま砕いた高麗胡椒(唐辛子)、粒胡椒を入れ、箸ではさみ切るように柔らかく、酢を少しさして、煮て出来上がる。

kuregure.hatenablog.com

 寛政九年(1797)成立の『料理集』には「くじゐと」としてみえる。同書は長崎料理の献立集であり、崎水白蘆華*1という人物によって著された。巻末に「唐料理」の一項が設けられていて、「すすへいと」「ひかと」などとともに「くじゐと」の作り方が紹介されている。

一 くじゐと
これは肉にてする事を くしら(鯨)の身を用ゆ 身鯨の筋立たる所 小骨先といふ 身別してよろし 大きさ壱寸五分四方程に切て 前日より炭火にて 汁のひかぬやうにたくなり 酒と水と斗也
煮汁へりたらは又加て 料理出す時 其前より 大根も右の身ほとに切りて 和らかになるまて煮込 醤油を以て塩梅を付る也 一もし つふ胡椒を加

 本来は牛肉などを入れる料理であったが、鯨の肉で代用していることが分かる。

 享和三年(1803)に肥後細川家の御料理頭であった村中乙右衛門が記した備忘録『料理方秘』にも、「くしいと」が記載されている。

参考文献

  • 松尾雄二 「文献にみる牛肉料理について」(『畜産の研究』67巻9号 2013)
  • 松尾雄二 「文献にみる牛鍋とスキ焼きの歴史について」(『畜産の研究』69巻9号 2015)
  • 松下幸子・吉川誠次・川上行蔵 「古典料理の研究(六)ー白蘆華著・料理集についてー」(『千葉大学教育学部研究紀要. 第2部』29 1980)

コシードマドリレーニョ PIXTA

*1:「崎水」は雅号。「崎」は長崎の「崎」に因んだものと推定されている。著作内の料理材料の魚鳥野菜名に、長崎の方言が頻出する事から、著者である崎水白蘆華は長崎の人であると考えられている。