戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

トウガラシ(日本) とうがらし

 トウガラシは紀元前8000年〜7500年には、ペルーで栽培が始まっていたといわれる。その後、15世紀末のコロンブスによるアメリカ大陸到達を契機にヨーロッパにも知られるようになった。日本への伝来は諸説あるが、16世紀末か17世紀初頭頃とされる。

日本への伝来

 明治七年(1874)に刊行された佐藤信淵著『草木六部耕種法』によれば、トウガラシは天文十一年(1542)にポルトガル人によって伝えられたとされる。一方、江戸期の本草学者・貝原益軒は元禄十一年(1698)に著した『花譜』の中で、文禄年間の朝鮮出兵の際に朝鮮から持ち帰ったとしている。また慶長年間(1596〜1615)に、煙草と前後して伝来したとするものもある(人見必大『本朝食鑑』)。

 なお朝鮮で1614年に刊行された『芝峰類説』では、「南蛮椒」(トウガラシ)は日本から初めて伝わったため、俗に「倭芥子」といわれるとしている。

トウガラシ?を食べた人

 『多聞院日記』の文禄二年(1593)二月十八日条には、トウガラシを口にしたと思しき一節がある。これによれば、「こせう(胡椒)」の種を得た著者の英俊は、その種について茄子の種のように少し平らで、赤い皮の袋の中にたくさん入っていたと記している。また、この赤い皮を食べてみたらしく、「赤皮のからさ消肝了(肝を消す)」とその辛さに衝撃を受け、「こせう(胡椒)」の味では無く、無類の辛さであると感想を述べている。また珍しさから種を植えているが、栽培には失敗したらしい。

 この時の「こせう」は、著者が「こせう」の味では無いと記しているように、胡椒ではなく、トウガラシのことを指しているように思われる。もしそうであれば、トウガラシは少なくとも文禄二年以前には日本に伝来していたと推定される。

トウガラシの特産地

 寛永二十一年(1645)刊行の『毛吹草』では、「諸国名産ノ部山城畿内」に「稲荷(中略)唐菘(とうがらし)」とある。貞享三年(1686)刊行の『雍州府志』にも、「唐芥子 所々に之れ有り 稲荷辺所ろ佳なりとす」と記されている。江戸初期には、トウガラシが京都伏見稲荷近郊の特産品であったことがうかがえる。

トウガラシの利用法

 元禄十年(1697)に刊行された『本朝食鑑』では、トウガラシについて「有毒」とし、多食すると、血を破り、眼を損ない、瘡毒(梅毒)を動かすと記している。一方で消化不良や熱病の一種、痔痛などに効果があるとしている。また味噌に酒とトウガラシを摺り混ぜたものを、もち米に塗って炙って食べると下痢が癒えるとしている。

 江戸期では、トウガラシを粉末にしたものを薬味として使用している例が多い。また元禄年間以降、庶民に田楽料理が浸透すると魚類や野菜の上に塗る味噌の一つとして「とうがらしみそ」があらわれる。

 トウガラシは園芸品種としても人気があった。先述の『花譜』では、当時既に多くの品種が出回っていたことが記されている。また「其実あかくして賞するにたへり」「盆にうへてよし」とあり、著者の貝原益軒も高く評価していた。

参考文献

  • 山本紀夫 『トウガラシの世界史』 2016 中央公論新社
  • 榎戸瞳 「江戸時代の唐辛子ー日本の食文化における外来食材の受容ー」 (『国際日本学論叢』第7号 2010 法政大学大学院国際日本学インスティテュート)