戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

トウガラシ(中南米) とうがらし

 トウガラシは紀元前8000年〜7500年にはペルーで栽培が始まっていたといわれる。中南米各地で古くから利用された野菜の一つ。

コロンブス一行の見た「アヒ」

 1492年、クリストファー・コロンブス一行は大西洋を横断し、アメリカ大陸に到達する。コロンブスはここで「アヒ」と呼ばれる香辛料を知った。彼は記録の中で、「アヒ」は胡椒よりももっと大切な役割を果たしており、これ無しで食事をする者は誰もいないとしている。また年間カラベラ船10隻分を、エスパニョーラ島から積み出すことが出来るだろうとも記している。この「アヒ」がトウガラシを指す。

 1493年に行われたコロンブスの第二次航海に参加した医師のチャンカも、セヴィリアへの手紙の中で「アヒ」について記し、西インド諸島の住民がキャッサバや「アヘ」(サツマイモ)、魚、鳥を食べるときに香料として「アヒ」をつけて食べているとしている。

中南米各地で利用される

 1572年にペルーに入ったスペイン人イエズス会士ホセ・デ・アコスタは著書『新大陸自然文化史』の中でトウガラシについて、西インド諸島ではふつう「アヒ」と呼ばれ、クスコ(ペルー、インカ帝国の首都)の言葉では「ウチュ」、メヒコ(メキシコ)の言葉では「チリ」という、としている。このことから、スペイン人来航時にトウガラシは西インド諸島のみならず、中米やアンデスでも利用されていたことが分かる。

 また古代インディオの間では、トウガラシは非常に貴重視され、それを産しない地方に重要な商品として持って行かれたとしている。種類も多く、緑、赤、黄などいろいろな色があった。味も様々で、刺激が強くひりひりするものもあるが、おとなしい味のものや、甘いもの、口に入れると麝香のような香りがするものもあったとしている。

メキシコでのトウガラシ

 メキシコでは紀元前7000年頃にはトウガラシが利用されていた。アステカ王国以前にも紀元前1200年頃から栄えたオルメカ文化、次いで7世紀から12世紀にかけてのトルテカ文化の時代にもトウガラシは栽培されていたとされる。

 スペイン人フランシスコ会士ディエゴ・デ・ランダは『ユカタン事物記』で、ユカタン半島(メキシコ東部)では焼いたトウモロコシを粉にして水に溶かして飲む際、トウガラシとカカオを加えていたと、記している。同じくメキシコの中央高地に栄えていたアステカ王国ではトウガラシが王都テノチティトランへの重要な貢納品の一つになっていた。スペイン人によって征服された頃に書き残されたコデックス(古絵文書)の「貢納表」の中にトウガラシの図が描かれている。


ペルーでのトウガラシ

 ペルーでのトウガラシの利用は古く、中部山岳地帯では先述のように紀元前8000年〜7500年まで遡る。中部高地で紀元前800年頃から栄えたチャビン文化の碑石にはトウガラシは刻まれている。この碑石は宗教的なものと推定されており、トウガラシもまた神聖視あるいは貴重視されていたものとみられる。紀元100年〜800年頃、ペルーの南海岸に栄えたナスカ文化の土器にもトウガラシを持った神が描かれている。

 インカ帝国の時代でもトウガラシは重要視されていた。インカ皇帝の孫にあたるインカ・ガルシラーソ・デ・ベガは「ウチュ」と呼ばれたトウガラシについて、インディオたちがたいそう好み、これまでに挙げたいかなる野菜や果物よりもこれを大事にしている、と述べている。

参考文献

  • 山本紀夫 『トウガラシの世界史』 2016 中央公論新社
  • リュシアン・ギュイヨ(池崎一郎・平山弓月・八木尚子 訳)『香辛料の世界史』 1987 株式会社白水社