マヤ文明が栄えたメソアメリカ南東部*1で生産されたトウモロコシ。トウモロコシはメソアメリカに野生していたテオシンテを起源とするとされ、マヤでは先古典期前期(前1800~前1000)頃から栽培が始まったとみられている。
トウモロコシ栽培の始まり
トウモロコシの起源はメソアメリカに野生したテオシンテという植物であったとされる。多様なメソアメリカの気候に順応してあちこちに自生していたが、一方でテオシンテは一房に5~10ほどの粒しかつけず、硬い被膜に覆われていた。
トウモロコシがテオシンテから生まれた時期は紀元前7000年頃とされ、マヤの時代区分で古期にあたる。先古典期の前期(前1800~前1000)になると、マヤ低地では、季節的に移住しながら焼畑農業でトウモロコシなどを栽培するようになった。栽培化されたばかりの頃のトウモロコシは穂軸の長さが2センチほどの小さなもので、収穫量もわずかであった。この時期のトウモロコシは、儀礼用の飲料として消費されることが多かったといわれている。
その後、紀元前1000年頃の先古典期の中期になると、穂軸が長く、穂につく粒数の多いトウモロコシが栽培されるようになった。それとともに農業生産が高まり、生業の中の農耕の比重が高くなった。また、その頃に土器の使用が広まり、トウモロコシといっしょにマメ類やカボチャ類などを煮て食べるという食生活の変革がおこったとされる。また、キャッサバやトウガラシ、カカオ、アボカド、パパイヤ、サポーテ(アカテツ科植物)なども食されたという。
なおグアテマラ北部のサン・バルトロ遺跡の「壁画の神殿」の調査で、マヤ文字とトウモロコシの神が描かれた壁画が発見された。壁画のそばの木片の放射性炭素の年代測定により、マヤ低地では遅くとも前300~前200年までにトウモロコシ栽培が行われていたことが確認されている。
前200年頃にはチナンパと呼ばれる灌漑農業が始められ、トウモロコシ、アマランス、ワタ、カカオなどが栽培された。チナンパとは、ナフアトル語で「アシの柵のある場所」を意味し、湖岸近くの浅い湖の床を杭と柵で囲って土を盛った小さな矩形の畑を指す。大きさは30×2.5メートル程度と報告されている。
チナンパの周囲には排水用の運河が掘られ、一連の石製の通路が設けられた。海抜1メートルほどの高さに土を盛るために、下に泥灰が置かれた。こうすることで、播種のときに適度の水分が種子に与えられる、土は十分に砕かれ通気がよくなるので根が深く伸びる、周囲の排水溝から加わる表土や養分により土が肥沃になる、などの効果があった。
トウモロコシと信仰
グアテマラ高地のキチェ族が植民地時代の初期に残した歴史文書『ポポル・ヴフ』のマヤ創世神話によれば、人間はトウモロコシから創造されたとされている。神々はまず泥や木で人間を作ろうとして失敗し、トウモロコシのペーストから人間を作った。そして、初めて美しく知性のある人間が生まれたのだという。キチェ族のライバル、カクチケル族の年代記にも相似の描写がある。
古典期(250-1000)でもトウモロコシの神はマヤの神々における主神の一角であった。マヤの人々のトウモロコシの神への信仰は、石彫、壁画、土器などに頻繁に描いていたことが、遺跡等からうかがうことができる。またマヤではトウモロコシに関連したさまざまな象形文字がつくられており、1年のカレンダーもトウモロコシの播種、成長、受精、登熟、収穫のサイクルを表す言葉でつくられていた。
トウモロコシの調理法
メソアメリカでは古くからニシュタマルという調理技術が用いられていた。ニシュタマルは中央メキシコで話されるナワ語群の言語に由来する言葉で、「石灰からの灰」を意味するネシュトリと「調理されたトウモロコシの生地」を意味するタマリから成り立っている。
それはトウモロコシの粒をアルカリ水溶液で処理する方法であり、具体的には雌穂からとった粒を、砕いた石灰岩、木灰、または貝殻を含む液につけるかその中で料理する。それにより粒の外皮がゆるみ、洗うだけで粒がとれ、粉にしやすくなる。そして、このプロセスを経ることで化学変化が起こり、トウモロコシの栄養価を飛躍的に高めることができた。
さらにニシュタマルをメタテ(製粉用の石盤)とマノ(製粉用の石棒)を使って挽きつぶし、練り粉にした。このニシュタマルのペーストをトウモロコシの葉で包み、蒸して調理したものがタマルだった。中には肉や野菜などその他の食材を含んだ。グアテマラのサン・バルトロ遺跡の壁画にはトウモロコシの神にタマルを捧げる女性の図像が描かれている。碑文学の分野でもタマルを意味するマヤ文字が解読されているという。
トウモロコシの料理
古典期マヤの墓所から見つかった半球状の碗の中には、「サク=ハ」あるいは「ウル」というマヤ文字の銘がはいったものがある。いずれもトウモロコシから作られる粥状の料理とされる。
「サク=ハ」の文字通りの意味は「白い水」で、熟したトウモロコシのニシュタマリ処理されていない粉から作られる。「ウル」の方は、熟す前のトウモロコシから作られるという。この他にトウモロコシの蒸し団子である「ワ」が知られる。
また16世紀末から17世紀初頭にまとめられたユカテコ・マヤ語の辞典である『モトゥル辞典』には、「サカ」と呼ばれる飲み物が以下のように記されている。
メキシコの言葉でアトレ。水とトウモロコシで作る。昼も過ぎると、冷たいままで、料理せず温めもせず飲む。さわやかな栄養のある飲物である。ときにカカオを混ぜる。
もう一つとても有名な食べ方にトルティージャがある。ペーストを薄く伸ばし、コマルというフライパンのような薄い土器で焼く。1541年から15年間、中南米を探検したイタリアのジロラモ・ベンゾニは、マノやメタテ、コマル等を用いたトルティーヤ作りのプロセスを描いた図を残している(『新世界の歴史』)。
ホンジュラスのコパン地方、マヤ高地、南海岸地方などでは先古典期(前1800-後250)からコマル状の土器が出土しており、トルティージャがかなり古い時代から食されていた可能性があるという*2。しかし、低地では古典期後期(前400-後250)までコマル型の土器の出土はとても少ない。マヤ文明圏の中でも食文化の時期差、地域差があったことがうかがる。