戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

トウガラシ(ヨーロッパ) とうがらし

 トウガラシは紀元前8000年〜7500年にはペルーで栽培が始まっていたといわれる。その後、15世紀末のコロンブス(クリストバル・コロン)によるアメリカ大陸到達を契機にヨーロッパにも知られるようになった。

コロンブス一行の見た「アヒ」

 1492年(明応元年)、クリストファー・コロンブス一行は大西洋を横断し、アメリカ大陸に到達する。コロンブスはここで「アヒ」と呼ばれる香辛料を知った。彼は記録の中で、「アヒ」は胡椒よりももっと大切な役割を果たしており、これ無しで食事をする者は誰もいないとしている。また年間カラベラ船10隻分を、エスパニョーラ島から積み出すことが出来るだろうとも記している。この「アヒ」がトウガラシを指す。


ヨーロッパへの伝来経路

 コロンブスたちはアヒ(トウガラシ)に強い関心をもったが、ヨーロッパへの伝来経路ははっきりとしない。1542年(天文十一年)にドイツ人植物学者レオンハルト・フックスは著書『植物誌』にトウガラシの正確な図版を載せ、これをカリカット・ペッパーの名で示している。カリカットはインド洋に面したインドの港町。このカリカット・ペッパーは数年前にインドからドイツへ持ち込まれたもので、まだほとんど広がっていないとしている。

 一方でフランドルの植物学者カロルス・クルシウス*1は『覚え書き』(1611年刊行)で、トウガラシはポルトガル人によってペルナンブコ(ブラジル大西洋岸の都市。現在のレシフェ)から持ち込まれたと言っている。

 これらのことから、トウガラシがヨーロッパに伝わった経路は、中南米から直接スペインに入ったルートだけでなく、南米のポルトガル人ルートやインドを経由してのルートなど様々であったと考えられる。

ヨーロッパでの普及

 先述のクルシウスは『覚え書き』の中で、トウガラシは1585年(天正十三年)にはモラヴィア(現在のチェコ共和国東部)のブルノ(モラヴィアの中心都市)で大量に栽培されていたとする。またカスティリヤでは普通に栽培され、胡椒と同様の使い方をする調味料として、生のまま、あるいは乾燥をさせた状態で用いられていたとしている。

 16世紀半ばごろには、イタリアでもいたるところで「インド・ペッパー」(トウガラシ)が普通に見られたらしい。1572年(元亀三年)の『覚え書き』の中でマチオーレが述べている。

 他にもフランドルの植物学者レンベルト・ドドエンスによれば、ベルギーでは薬草販売業者が薬草園で植木鉢の中に入れて栽培されているのが見られたという。

トウガラシの薬効

 16世紀後半に刊行された『新たに見つけられた世界からの喜ばしい知らせ』で著者のニコラス・モナルデスはトウガラシの薬効について、食べれば体は元気になり、心がときほぐれ、胸の病気に効く、と記している。他にも体の主な器官を温め、調子を整え、丈夫にするとも述べている。

参考文献

  • 山本紀夫 『トウガラシの世界史』 2016 中央公論新社
  • リュシアン・ギュイヨ(池崎一郎・平山弓月・八木尚子 訳)『香辛料の世界史』 1987 株式会社白水社

*1:フランス出身の植物学者。神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に仕えた。後、ライデン大学植物園の設立に尽力した。