戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2022-01-01から1年間の記事一覧

シュールストレミング surströmming

鰊(ニシン)の発酵食品。生の鰊を塩水につけた状態で発酵させて作られる。スウェーデン語で「酸っぱい鰊」を意味する。

コッゲ船 こっげ せん

北ヨーロッパを起源とする1本マスト、1枚横帆の貿易船。全長は約30メートル。コグ cog あるいはコッグとも呼ばれる。13〜14世紀、バルト海や北海の交易で用いられた。14世紀には地中海でも採用され、15世紀に現れるキャラック船の源流の一つとな…

鰊(バルト海) にしん

鰊は冷水域を好む回遊魚。ヨーロッパではバルト海や北海で捕獲され、加工された後、ヨーロッパ各地に流通した。栄養源が限られていた中世から近世にかけてのヨーロッパにおいて、防腐処理を施した魚は貴重なタンパク源であった。

日積 ひづみ

周防東部の街道の要衝に位置した市場町。現在の山口県柳井市日積の鍛冶屋原地区には、大内氏の代官・杉氏が屋敷を構え、鉄材料を加工する鍛冶がいたことが遺跡と史料から分かっている。

ニュルンベルク Niamberg

ドイツ南部バイエルン地方の都市。ペーグニッツ河の両岸に市街地が形成されている。金属加工業を中心とした手工業が発達し、また国際商業の町としても栄えた。神聖ローマ帝国における重要都市でもあり、15世紀以降、帝国宝物の保管が市参事会に委ねられて…

警固屋 善兵衛 けごや ぜんのひょうえ

安芸国安南郡警固屋(現在の呉市警固屋)を本拠とした警固屋氏の一族か。弘治二年(1556)以前に周防国熊毛郡に知行を得ていた。警固屋氏は防芸引分で大内方となり、大内氏の最終局面まで従っている。

ライプツィヒ Leipzig

ドイツ東部、ザクセン地方の中心的な商業都市。中世以来、大市が開催され、フランクフルトとともにドイツの代表的な大市開催都市として知られた。また周辺地域の鉱業と毛織物業を軸にヨーロッパ各地との交易で繁栄した。

クラクフ Kraków

ポーランド南部、小ポーランド地方の都市。ヴィスワ川上流に位置する。14世紀から17世紀初頭までポーランド王国の首都ないし中心都市であり、通商ルートの要衝にあって遠隔地を結ぶ国際貿易で栄えた。

杉 甲斐守 すぎ かいのかみ

大内家臣。周防国玖珂郡日積村に知行を得た杉氏の一族か。永正・大永年間に安芸国石道本城に入り、厳島神領支配の一角を担った。天文十七年(1548)には、備後国神辺村尾城攻めの検使として弘中隆兼、小原隆言とともにみえる。

吉井 行貞 よしい ゆきさだ

大内家臣。官途名は蔵人。周防国大島郡屋代庄の土豪か。大内氏の警固衆として活動した。厳島合戦前後に急死したらしい。

ロンギヌスの槍 Lance of Longinus

イエス・キリストが磔刑になった際にキリストを刺したとされる槍。この槍を持っていたローマ兵士の名前から、ロンギヌスの槍とも呼ばれた。

聖槍(神聖ローマ帝国) せいそう

神聖ローマ帝国の「帝国宝物」の一つ。穂先の鉄の刃には、縦の孔が穿たれ、そこに釘の形状をした金属が嵌め込まれている。これはキリストを十字架に打ち付ける際に用いられた釘(聖釘)の一つであるとされていた。時に聖マウリティウスの槍とも、コンスタン…

ガラス(博多) がらす

古代末から中世前期にかけて博多で生産されたガラス製品。博多遺跡群からはガラス製品だけでなく、生産に使われた坩堝も出土している。博多に居住した宋人が生産に関わったといわれる。

高崎 六郎次郎 たかさき ろくろうじろう

沼田小早川氏の庶子家である高崎氏の当主か。応仁文明の乱では、東軍方の惣領家に従わず、西軍の周防大内氏の援軍とともに高崎城に立て篭もった。

土倉 民部少輔 とくら みんぶのしょう

沼田小早川氏の庶子家である土倉氏の当主か。官途名は民部少輔または民部大輔。15世紀中ごろから後半にかけて、沼田小早川氏の軍事行動で活躍した。

大草 持範 おおぐさ もちのり

沼田小早川氏の庶子家である大草氏の当主。官途名は駿河守。沼田新荘の大草村(現在の広島県三原市大和町大草)を所領とした。同地の堀城および高城は大草氏の城と伝わる。

高山 たかやま

沼田小早川氏の居城・高山城の城下町。沼田荘を流れ瀬戸内海に注ぐ沼田川と山陽道(西国街道)の結節点という交通の要衝に位置する。

陶器(大井郷七重) とうき おおいごうななえ

長門国阿武郡大井郷七重(山口県萩市大井の下七重・上七重の両地区)で生産されていた陶器。同地からは中世にさかのぼる半地下式の登窯が発見されている。古代、陶棺の生産を行っていた形跡もあり、古くから窯業が盛んな地域であったとみられる。

鳥銃 ちょうじゅう

ヨーロッパから伝来した火縄銃。中国明朝の時代、「鳥銃」や「鳥嘴銃」あるいは「鳥槍」と呼称された。鳥を狙撃し得るほどの命中精度を誇るためとも、その形状が鳥の嘴に似るためともいう。のち清朝の時代には、主に「鳥槍」と称された。

フェルナン・メンデス・ピント Fernam Mendez Pinto

東南アジア・東アジアで活躍したポルトガル人海商。後にイエズス会士となる。ポルトガルへ帰国後、自身の「体験」をまとめた『東洋遍歴記』を著した。

南澳 らまう

潮州府の東南に面した外海に浮かぶ南澳島の港町。16世紀、日本との密貿易の拠点となった。明代には所謂「潮州の海寇、多く南澳より入り」と言われ(『南澳程郷議』)、海寇の拠点でもあった。

浯嶼 ごしょ

中国福建・漳州湾南東部の小島の港町。ポルトガル人らが集まる密貿易拠点であったが、後に現地の海寇が引き入れた倭寇の前進基地ともなった。

双嶼 そうしょ

浙江省寧波府の近海、舟山列島の六横島東岸の港町。同島は南シナ海から福建・広東沿岸を北上し、あるいは日本から東シナ海を渡って、寧波方面に向かう船舶が経由する水道上に位置する。中国有数の密貿易港として知られ、ヨーロッパの史料には「リャンポー(L…

海滄 かいそう

中国福建・厦門湾北岸の港町。対岸の月港とならぶ密貿易港として知られた。

浪白澳 らんぱかう

広州湾沖にあった浪白澳島の港町。上川(サンシャン)とともにポルトガル人の交易の拠点となった。浪白澳(ランパカウ)の地名は、1537年(天文六年)成立のガスパル・ヴィエガスの地図に「ラブパ(Labupa)」もしくは「ラブプス(Labups)」としてみえ…

上川 さんしぁん

広州湾沖の西南に浮かぶ上川島の港町。浙江や漳州での通商に失敗したポルトガル人が、新たな交易拠点とした。ポルトガル人の日本渡航の際の中継港でもあった。

陳 瑞 ちん ずい

中国徽州出身の海商・方三橋の貿易船の乗員。1548年(天文十七年)五月、日本から明国に戻った際、明軍に捕縛された。船には中国人とともに20名の日本人が乗っており、ヨーロッパ人から奪った仏郎機砲などの火器も搭載されていた。

池端 重尚 いけばた しげひさ

大隈国祢寝院の領主・池端清本の嫡孫。弥次郎。父は清住。「唐人」と「南蛮人」の合戦に巻き込まれて不慮の死を遂げた。

稽天 けいてん

薩摩国薩摩郡東郷(現在の鹿児島県薩摩川内市東郷町)出身の日本人海商。東郷の国人領主・東郷氏の被官か。1548年(天文十七年)三月に貿易のために双嶼に向かうも、明軍に拿捕された。彼の供述により、日本人が中国での密貿易に関わる経緯の一端が明ら…

大福船 だいふくせん

16世紀、中国明朝の福建地方で造られた尖底の大型ジャンク船。小型艦船を圧倒する戦闘力を有したという。明軍だけでなく、中国福建の密貿易商人たちも用いており、日本人が買い入れていた可能性もある。