戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2022-01-01から1年間の記事一覧

兜羅綿 とろめん

綿糸に動物の毛をまぜて織った毛織物。主に中国から輸入された。室町期は高い身分の者しか使用が認められない貴重品だった。江戸期に入るとより高級な毛織物である羅紗などが輸入され、価値が相対的に低下。一方で足袋の素材となるなど、下級武士、庶民にも…

伏見酒 ふしみさけ

洛南の伏見で造られていた酒。「伏見酒」の語がみえるのは16世紀末であり、当時は興福寺などの僧坊が作る奈良の酒と競合していた。また酒造業発展の背景には、豊臣政権による伏見城下町の整備があるといわれる。

門司 日向守 もじ ひゅうがのかみ

大内家臣。天文十六年(1547)の遣明使節の一号船に「御用人衆」の一人として参加。北京に赴き、大内氏が調えた進貢物を明朝の礼部に納めた。

山口酒 やまぐちさけ

周防国山口で造られたとみられる酒。天文八年度と天文十六年度の遣明使節の記録にみえる。両方とも山口を本拠とする大内氏が経営主体となっており、赤間関等で遣明船に積み込まれたとみられる。

道後酒 どうごさけ

伊予国道後で造られたとみられる酒。伊予酒とも。慶長十六年(1611)頃から日記類にみえるようになる。17世紀中頃には伊予を代表する産物として全国に知られた。

三原酒 みはらざけ

備後国の港町三原で造られた酒。17世紀初頭からその名が見える。三原では福島正則入部後に酒造業が発達したとみられ、その後全国屈指のブランドとなった。

尾道酒 おのみちざけ

備後国の尾道およびその周辺で生産された酒。室町期以前から酒造業が盛んであったとみられ、『庭訓往来』には名産として「備後酒」がみえる。16世紀末には全国的にも知られる酒となっており、貴人の贈答品としても用いられた。

木練柿 こねりがき

京都近郊で栽培された甘柿。室町期から寺院や公家の庭で栽培されはじめた。流通量は少ないながらも贈答品として珍重された。16世紀末ごろから嵯峨で商品作物としての栽培が本格化したとみられる。

柿(山科) かき

山城国宇治郡北部の山科で生産された柿。渋柿であり、防水材や漆器の下地塗料などに使用された。公家・山科家の膝下荘園である山科東荘では、文明十二年(1482)頃から商品作物として栽培が本格化していたとみられる。

酒(山科東庄) さけ

公家・山科家の膝下荘園である山科東庄において醸造されていた酒。東庄の各家で自家醸造されていたとみられる。山科家の家司で東庄代官でもある大沢久守も、政所で醸造を行っていたことが『山科家礼記』にみえる。

雪舟等楊筆「山水図巻」 さんすいずかん

雪舟等楊筆の山水図の巻子。跋文部分を含めた全長は4.51メートル。雪舟が「画本」(絵手本)を求める弟子の等悦に描き与えたものとされる。前半は雪舟の真筆だが、後半は後世の画家の手による雪舟画の模写となっている。

雲峰 等悦 うんぽう とうえつ

室町期の画家。雪舟等楊の弟子。丹波国の出身で、子に季英周孫という画僧がいた。

大津棰 おおつたる

近江国大津で生産されたとみられる酒。大津に近い山科を領した公家・山科家は、山科東庄を通じて大津棰を調達し、贈答に用いている。

狩野元信筆「十僧図」 じゅうそうず

足利義政晩年の邸宅・東山殿の東求堂(持仏堂)内部の襖に描かれた襖絵。足利将軍家の御用絵師・狩野正信によって制作された。将軍の側近でもあった禅僧・亀泉集証の日記『蔭涼軒日録』に完成までの経緯が詳しく記されている。

蕎麦 そば

穀物のソバ、およびソバの実を原料とする蕎麦粉を加工して作られる料理。日本では古くから救荒作物として栽培された。こんにち一般的な麺状の蕎麦切りは、16世紀後半には存在していたとみられる。

ライン ワイン Rhein wein

ドイツのライン川流域で生産されたワイン。ドイツ北部沿岸地域や中部ドイツ都市では、ラインワインが最も一般的なワインであった。なお現フランス領のアルザス地域で生産されるワインはアルザスワインとして区別されたが、地域によってはラインワインとして…

フランケン ワイン Franken wein

ドイツのフランケン地方(ドイツ中南部から南ドイツの北部)で生産されたワイン。ただしフランケンワインの名称は、生産地域から葡萄品種、そして品質を示すものへと語義が変化していったという。

伊尾 いお

備後国世羅郡大田庄桑原郷の集落。現在の広島県世羅郡世羅町伊尾。初期の大田庄の開発を担った橘氏、および鎌倉初期に地頭となった三善氏の本拠地となった。戦国期は尾首城主であった湯浅氏の本拠となり、同氏によって大通、近森の両地区の開発が進められた。

白潟 しらかた

出雲国宍道湖東岸の港町。宍道湖東側の出口に形成された砂州の先端付近に形成されたとみられる。水陸の交通の要衝であり、また職人ら多くの住人を抱える都市でもあった。

上原 宗安 うえはら むねやす

備後国世羅郡大田庄上原を本拠とする国人・上原氏の家臣。上原元将(元祐)の側近とみられ、織田方の羽柴秀吉との交渉を担当した。後に京極氏に仕えた。

高山 こうざん

備後国世羅郡大田庄の今高野山およびその門前町。中世、紀伊国の高野山領となった大田庄の支配拠点となったとみられる。17世紀初頭の福島正則の時代には安芸・備後屈指の町場へと発展していた。江戸期の名称は「甲山町」であったが、文政三年(1820)…

材木(周防国玖珂郡) ざいもく

周防国最東部の玖珂郡の小瀬川や錦川流域で生産された材木。少なくとも鎌倉期から河川水運を用いて瀬戸内海に搬出されていた。安芸国の厳島神社造営などに用いられていることが確認できる。

鮎(岩国) あゆ

周防国東部の錦川流域で獲れた鮎。下流域の岩国では、16世紀後半に鮎料理が旅人に提供されていることがみえる。鮎料理自体は古くは『延喜式』にも記載があり、古くから日本で食べられている。

岩国 いわくに

周防国最東部の錦川河口部の港町。古来より山陽道の要所であり、また錦川流域と瀬戸内海の結節点であった。中世には周防守護・大内氏の有力家臣である弘中氏の拠点となり、周辺には多くの警固衆が存在した。江戸期には吉川氏が岩国城を築いて入部した。

鉛(久喜銀山) なまり

石見国邑智郡南端の久喜銀山において産出された鉛。同銀山では永禄三年(1560)の銀鉱脈発見以来、銀を含んだ鉛鉱石が採掘され、精錬によって鉛と銀に分離された。このうち鉛は石見銀山へと運ばれ、銀鉱石の精錬に使用された可能性が指摘されている。

マラケシュ Marrakech

北西アフリカのモロッコ王国の中南部にあったオアシス都市。高アトラス山脈の北麓に位置する。11世紀にムラービド朝によって築かれて以後、王朝の首都として、またサハラ交易の拠点として繁栄した。

マスカット Muscat

アラビア半島東端に位置する港町。現在のオマーン国の首都。ペルシア湾の入口に位置し、ペルシア湾とアラビア海、インドなどを結節する海上交通の要衝。16世紀にポルトガルの拠点となり、後にヤアーリバ朝やブーサイード朝の下、インド洋海域における交易…

楊井 虎女 やない とらめ

毛利家臣・楊井武盛の息女。元亀三年(1572)に父から所帯を譲られている。夫は楊井春俊、子は楊井規春か。

楊井 武盛 やない たけもり

大内家臣。幼名は万壽。仮名は彌七。官途名は右京亮、後に但馬守。楊井国久の次男だが、楊井春盛の養子となってその跡を継いだ。主家滅亡後に仕えた毛利家中では、その医術の評価が高かった。

アインターブ Ayntab

アナトリア南部の都市。現在のトルコ共和国ガズィアンテプ県の県都ガズィアンテプ。その語源はアラビア語の「アイン・タイイブ(良き泉)」が転訛したものとされ、豊富な水と食料があった。マムルーク朝の最北端の都市であり、多くの言語、文化が混在した学…