戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

フランケン ワイン Franken wein

 ドイツのフランケン地方(ドイツ中南部から南ドイツの北部)で生産されたワイン。ただしフランケンワインの名称は、生産地域から葡萄品種、そして品質を示すものへと語義が変化していったという。

名称と生産地域

 タウバーワインと称される一連のワインの名称が指す範囲と、フランケンワインという名称が当てはまる範囲は、実際には曖昧であるという。ネルトリンゲンの15世紀中頃の記録では、タウバーワインの名称が用いられていたが、1476年(文明八年)以降になるとタウバーの名称がフランケンに置き換えられている。ここから、タウバーワインがフランケンワインとして扱われていた事例を見て取ることができる。

 またフランケンワインは、しばしばヴュルツブルクワインとして記録された。これはヴュルツブルクがフランケン産ワインの中心的集散地であったことによる。一方でヴュルツブルクでは自らの領域外で作られたワインは全て外来ワインとみなす傾向があり、1475/1478年(文明十年)の輸入禁止令ではタウバーワインを外来ワインとして扱っている。

 なおフランケンワインの母体となる葡萄の栽培は、ネッカー、ラーン、中部ライン、モーゼル、ナーエの各河川へと広がり、後者3河川で生産されたワインはラインワインとして販売されたという。

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フランケンワインの流通

 フランケンワインの輸出は、ヴュルツブルク商人が担っていたが、14世紀後半には彼らの手を離れ、ケルン、低地地方、ニュルンベルクボヘミアの人々の手に移ったとみられている。そしてその販路は、生産地域から見て主に北から南東方向に向けて広がっていた。

 フランケン地方から北に向けては、ワインの搬送に用いられた古くからの通商路があり、シュヴァインフルトからコーブルク方面、レムリンゲンないしミッテンブルクからフルダ方面へと経路が延びていた。

 コーブルクでは、アルテンブルクからの商人がここでフランケンワインを仕入れたほか、さらに北のアイゼナハ、エルフルト、ミュールハウゼン等といった都市でも、14世紀中頃までにフランケン産が記録されるようになっていた。

ニュルンベルクからの販路

 バイエルンの大都市ニュルンベルクは、フランケンワインの最大の調達地であった。ヴュルツブルク等からニュルンベルクへ送られたワインは、同市内で大量に消費され、その量は租税(Ungeld)の徴収額から換算して、1470年には13400ヘクトリットル、1471年(文明三年)には17830ヘクトリットルに達していた。

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 ニュルンベルクからは、北方のフライベルクライプツィヒ等のザクセン方面に販路が開けていたほか、ボヘミア方面への経路もあった。ツヴィッカウやケムニッツなどでもフランケンワインの記録があるが*1、フランクフルト・アン・デア・オーダーといったドイツ東部の都市やシュレージェン方面では東欧産ワインとの競争に晒され、チェコ国境に近いゲルリッツでもアルザス産や南方産(ギリシャ産や北イタリア産)と競合関係がみられたという。

 ニュルンベルクから南では、ネルトリンゲン経由でアウグスブルクへの販路があった。南東方向では、ランツフート等のニーダーバイエルン諸都市およびザルツブルクでフランケンワインが見られ*2ニュルンベルクからのものと考えられている。ただしオーバーバイエルンにまでは、フランケンワインは達していなかった。

ドイツ北部・西部における流通

 フランケンワインは一部のドイツ北部の沿岸都市へも達していた。リューベックでは、1504年(永正元年)のワイン貯蔵規定においてフランケンワインに対して独自のアクチーゼ税率が定められていた。またフーズムでは、1461年(寛正元年)のアムステルダム商人向け関税表の中で同ワインが言及されていた。しかしドイツ北部でのフランケンワインの流通は地域が限られていて、記録された都市も少ないという。

 ライン川水系のドイツ西部においては、1395年(応永二年)に初めてフランクフルト大市でフランケンワインが現れる。しかしこの方面での記録も僅かであった。ドイツ北部および西部は、ラインワインの中心的な販売市場であった。

参考文献

  • 谷澤毅 「中世後期ドイツにおけるワインの流通」(『長崎県立大学論集 第34巻第4号』 2001)

ドイツ・フランケン白ワイン from 写真AC

*1:1502ー1512年のツヴィッカウの護衛記録には各ワインを積んだ車両の数が見える。これによれば、ラインワインが199両、フランケンワインが145両、ザーレワインが66両であった。

*2:ブルクハウゼンにおける1476年のバイエルン宮廷の調達記録によれば、オスターワインが2976アイマー、フランケンワインが276アイマー、チロル産ヘップワインが36アイマー、ラインファールが58アイマー、マルヴァジアが10アイマーがそれぞれ挙げられている。東方のオスターワインが圧倒的に多いことが分かる。