2021-01-01から1年間の記事一覧
中国で生産された樟脳。樟(クスノキ)を加工して作られた。東南アジアで産する竜脳の代用品であり、殺虫剤や火傷の際の鎮痛剤として用いられた(『本草品梨精要』)。中国では12世紀には製造が始まっていたとみられる。
日本で生産された樟脳。樟(クスノキ)を加工して作られた。安価な竜脳と位置付けられ、殺虫剤や火傷の際の鎮痛剤として用いられたとみられる(『本草品梨精要』)。特産地は九州地方、特に薩摩国。17世紀以降、オランダによって海外に輸出された。
毛利氏被官。筑前宗像氏にも属した。官途名は吉左衛門尉。弟に波賀多親秀がいる。12端帆の大型船を複数所有し、筑前から山陰にかけての日本海で海上活動を行った。
大内家臣。仮名は弥四郎。官途名は弥左衛門尉。宗像社大宮司・宗像正氏の与力となり、筑前立花山城攻めなど大内氏の北九州経略で活躍した。
戦国期、肥後国宮原で発見された鉱石。発見当初は、銀鉱石と鑑定されたが、以後の史料には見えなくなる。
安芸国佐西郡石道(広島市佐伯区石内)を本拠とする国人。官途名は民部少輔。実名の「興」は、大内義興の偏諱とみられる。大永三年(1523)、安芸武田氏によって自害に追い込まれた。
琉球中山王国の王都。沖縄本島の南部、現在の沖縄県浦添市に位置する浦添グスクとその城下からなる。その語源は「うらおそい(浦襲)」で、浦々を支配する所の意という。
安芸国能美島の土豪。防芸引分では、毛利氏に協力して能美島の調略を行った。後に能美島を支配した来島村上氏に仕えたか。行動の詳細は不明ながら、来島村上氏が毛利氏から離反した際、関係者の話題にあがっている。
来島村上家臣。幼名は千壽丸。仮名は四郎。官途名は右近助。安芸国能美島(現在の江田島市能美島)の出身か。来島村上通康と、その子通総に仕えた。
伊予国守護・河野氏の被官。在京中の当主と接触する立場にあった。一方で京都の東寺からは海賊と認識されており、東寺領弓削嶋荘の年貢徴収を請け負った。後の海賊衆・来島村上氏に連なる人物ともされる。
大崎西庄(大崎上島町のうち木江・沖浦・明石)の地頭。応永三十五年(1428)四月、御串山八幡宮(大崎上島町明石)の社殿造立に関わった。安芸国人・沼田小早川氏の諸氏家である土倉氏の当主か。
17世紀初頭、マルク諸島のテルナテ島に住んでいた日本人。テルナテ島を含むマルク諸島には、オランダ東インド会社に雇われた日本人が連れてこられていた。フワンもその一人だったとみられる。
インドネシアのマルク諸島(モルッカ諸島)の一つマキアン島の港町。マキアン島は、テルナテ島とならぶ丁子(クローブ)の産地であり、マルク諸島最良の港を持つことで知られた。
石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の当主。仮名は大九郎。高橋弘厚の子。江戸中期に作成された「安芸国高田郡図」では、高田郡横田村の松尾城(広島県安芸高田市美土里町横田)について城主高橋大九郎としている。
石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の一族。興光の父。官途名は治部少輔、後に伊予守。当主・高橋元光との関係は不明。名に「光」の字が無いことから、惣領家の出身ではなかったと考えられている。なお「弘」は、大内政弘からの偏諱とみ…
フィリピン南部のミンダナオ島に栄えたマギンダナオ王国の王都。16世紀に初頭にイスラームを受容し、フィリピンに進出したスペインと激しく争った。貿易面では、周辺の海洋民を勢力下におき、テルナテなどマルク諸島との交易が活発だった。
武蔵国の都幾山慈光寺(埼玉県ときがわ町)で生産された銘茶。当時、武蔵国を代表する銘茶として現地では知られたが、京都では「河越茶」として認識されていた。現在の埼玉県・東京都で生産される「狭山茶」の起源の一つとされる。
インドネシアのマルク諸島(モルッカ諸島)の一つテルナテ島の東岸の港町。テルナテ島はマルク諸島最大のハルマヘラ島の西海岸沖合10キロメートルに位置する。テルナテ王国の王都であり、丁子(クローブ)の積出港として栄えた。
薩摩国で焼かれた陶磁器。朝鮮に出兵(慶長の役)した島津軍によって捕らえられた朝鮮陶工によって製作された。江戸期は「国焼」あるいは「国許焼」「薩州焼」とも記されている。
現在の米国イリノイ州セントルイス近郊にあったアメリカ先住民の都市。9世紀から14世紀にかけて栄えた。高さ30メートルにもおよぶ巨大な墳丘「モンクス・マウンド」が構築されたことで知られる。
天の川河口部左岸の港町。現在の北海道桧山郡上ノ国町。蠣崎氏の本拠地。夷王山の麓に構築された城塞・勝山館の内部には、職人やアイヌの居住空間もあったとみられる。
沿海地方北部を流れるウスリー川支流のイマン川南岸の段丘上に位置する城郭。当時の名称は不明。12〜13世紀に女真人が建国した金および東夏において、恤品路(ロシア沿海地方)北辺統治の中心地であったとみられる。
蠣崎(松前)氏の家宝として近代まで伝世された硯。3世紀、中国の後漢末の有力者・曹操が建立した銅雀台の瓦と伝えられる。北方のアイヌを経由して15世紀の蠣崎氏の手に渡ったという。
織田信長の次男・信雄の娘。母は北畠具教の娘。同母兄に秀雄がいる。羽柴秀吉の養女となり、「小姫君」と呼ばれた。法華寺本『織田系図』では「おかに」、『寛永諸家系図』は「某 加爾」と記載されている。
中世のアムール川下流域にあった地名。現在のロシア連邦ハバロフスク地方のティル村。金、元、明の3つの王朝は、ヌルガンの地に地域支配の拠点を設置した。史料には「奴児干」「弩児哥」などと表記されている。ヌルガンに持ち込まれた絹織物などの中国製品…
サハリン最南部のシラヌシの地に築かれた城郭。白主土城と呼ばれる。サハリン最南端のクリリオン岬近く、北海道島とサハリン島を結ぶ地点に立地している。その構築は、大陸の勢力によって行われたと推測されている。
元朝(大元ウルス)の将軍。1285年(弘安八年)とその翌年、骨嵬(クイ)を討つ為、大軍を率いてサハリンに侵攻した。動員された兵数は1万人で、これとは別に、兵站確保のために旧南宋軍による屯田も行われた。
ロシアのナホトカ市の北方、スウチャン川左岸の丘陵に位置した城郭都市。12〜13世紀に女真族が建国した金および東夏において、地域の行政・経済の中心であったと考えられている。当時の名称は不明。この城址からの発見物が、鎌倉期日本の謎の解明につな…
東ヨーロッパのチェコで生産されたワイン。特に南部のモラヴィア地方で生産が盛んだった。現在でも、南モラヴィアは優良なワイン生産地であり、ミロクフやヴァルチツェ、ズイノモといった街は、ワインを主要産業としている。
アフリカ大陸南西部の先端にあるケープ半島の北の端に位置する港町。北にテーブル湾、南をテーブルマウンテンなどの山々に囲まれる地形となっている。日本での勤務経験もあるヤン・ファン・リーベックが責任者となり、1652年(承応元年)から基地建設が…