2021-01-01から1年間の記事一覧
14世紀初頭から17世紀中頃にけて南インドで栄えたヴィジャヤナガル王国の王都。現在のインド南部カルナータカ州ハンピに都市遺跡が残されている。山地と城壁に囲まれた巨大な要塞都市であり、その繁栄は当時のヨーロッパ人にも記録された。
ジャワ島北岸に栄えたデマ(ドゥマク)王国の王都。同国はジャワ島で最初のイスラーム王国とされる。香料産地とマラッカとの中継港として栄えた。
東ヨーロッパのチェコで醸造されたビール。中世のチェコでは、ビールは都市で醸造され、庶民の飲み物として広く普及していた。現代の日本でも広く飲まれているビールの種類「ピルスナー」は、19世紀のチェコで生み出されることになる。
ジャワ島東部に栄えたマジャパヒト王国の王都。ブランタス川の下流右岸平地(現在のトロウラン)に位置した。同国は元朝や明朝とも通交しており、琉球の使節が訪れたこともあった。
13世紀末のアイヌの首領の一人。サハリンから海を越え、元朝(大元ウルス)の勢力圏に侵入した。
サハリン(樺太)の民・二ブフによって造られた船。サハリン周辺海域での航海で使用された。板船であったと推定されている。
石見西部、高津川と匹見川の合流点付近に位置した市町。 匹見川と高津川の両河川の流域の物資集散地として、益田氏の本拠・益田本郷と内陸部をつなぐ交通の要衝として栄えたとみられる。
備後北部の三次盆地の馬洗川流域、現在の広島県三次市畠敷あたりにあった市町。国人・三吉氏の本拠である比叡尾山城の城下町でもあったとみられる。
石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人・高橋氏の家臣。家中の有力者の一人。官途名は右馬助。
石見国阿須那(現島根県邑南町)を拠点とした国人、高橋氏の家臣。家中の有力者の一人。官途名は下野守。
戦国期、周防山口を拠点に活動した金工(金属に細工をする美術工芸)の職人。
13世紀、金国の武将・蒲鮮万奴が建国した東夏国の首都。ロシア沿海地方のクラスノヤロフスコエ城趾に比定する説がある。
13世紀、金国の武将・蒲鮮万奴が建国した東夏国の城郭。現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州図們市長安鎮に所在する城子山山城趾に、比定されている。
ノース人(スカンディナヴィア人)によるグリーンランド「東入植地」の中心的な居留地。現在のグリーンランド南部クレヤック市イガリク村にあった。
毛利家臣・内藤元種の息女。毛利輝元の養女となり、羽柴秀吉の養子・秀勝に嫁いだ。秀勝の死後、毛利家臣・宍戸元続に再嫁した。
周防大内氏家臣・安富興宗の息女。妹にとら靏。興宗に男子がいなかった為、跡を譲られた。
奈良の法隆寺に伝来した白檀二点の香木。『正倉院御物棚別目録』に、蘭奢待(黄熟香)や全浅香(紅沈香)と記された沈香木と並んで、天下の名香に数えられてきた。
中国山地に接する備後北部地域で産出された鉄素材。中世、備後の特産品として広く知られた。一部は沿岸の港から、畿内方面へも輸出された。
東南アジアのティモール諸島に生えるサンタル樹の一種。心材に芳香がある。檀香の代表的な香木であるが、厳密には樹心と根部の黄褐色に近いものが黄檀、材の白色のものが白檀と呼ばれる。香木として用いられたほか、仏像の材料としても使われた。
1546年(天文十五年)にヴェネチアで刊行された世界地図。ヴェネチア共和国を代表する地図製作者ジャコモ・ガスタルディにより作成された。
源頼光による大江山の鬼退治を描いた絵巻物。全三巻。相模の北条氏綱によって企画され、大永三年(1523)頃より制作がスタートした。
中国の禅僧画家・牧谿法常の筆によって描かれた墨絵。牧谿は室町・戦国期の日本で高い評価を得ていた画家であり、その絵は唐絵の最高のものとして珍重された。
来島村上家臣。官途名は次郎左衛門。実名の「親忠」は、永禄二年(1559)六月十三日付の志駄岸八幡宮(山口県大島郡屋代島)の「御頭切田辻之事」にみえる。一般的な書状には下嶋次郎左衛門としてみえる。
来島村上家臣。仮名は源三郎。近世に作成された「河野分限帳」(河野氏家臣団の一覧)に名が見える。
来島村上氏の重臣。筑前守。 当主通康の弟。内蔵大夫吉高の父。伊予国和気郡の葛籠葛城主として、来島村上氏の要港・堀江の支配に関わった。
弓削島荘所務職を持つ村上治部進の一族か。弓削島荘に侵入する諸勢力と戦った。
伊予国弓削島にあった東寺領弓削島荘の所務職。応永二十八年(1420)八月に所務職となった村上右衛門尉の子か。
伊予国弓削島にあった東寺領弓削島荘の所務職。来島村上氏の系統か。
能島村上家臣。杢之允。武吉、元吉に仕えた。
能島村上家臣。家中にあって主に毛利氏との折衝を担当した。