中国の禅僧画家・牧谿法常の筆によって描かれた墨絵。牧谿は室町・戦国期の日本で高い評価を得ていた画家であり、その絵は唐絵の最高のものとして珍重された。また「寒山」と「拾得」は、中国の唐の時代にいたという非僧非俗の風狂の徒で、その生き方に憧れた禅僧らによって格好の画題とされてきた。
長尾為景への贈り物
この牧谿筆「寒山拾得図」は大永五年(1525)四月、相模小田原の北条氏綱から越後の長尾為景に贈られた。
その際の書状に「和尚(牧谿)の寒山ニ幅一対、これを進らせ候。哀れ御意に合い候らえかなと存ぜしめ候。前に御物の由承り及び候。外題は能阿弥これを仕り候」とある。この絵はかつて室町将軍家の御物であり、外題(タイトルバック)は、足利義政の同朋衆・能阿弥の筆によるものであった。
北条氏と長尾氏の交渉
当時、北条氏綱は山内・扇谷の両上杉氏と敵対しており、北条氏は戦略上の観点から両氏の北に位置する越後長尾氏との同盟締結を模索していた。大永四年(1524)、氏綱は為景のもとに使者を派遣し、「寒山拾得図」とは別の牧谿の絵を贈っている。しかし、為景はこの絵を気に入らずに受け取らなかったらしい。
同年十一月、氏綱は蜜柑や酒樽とともに、今度は「横絵」を贈ることを約束する書状を為景に送っている。こうしたことが背景にあって、前述の「寒山拾得図」が為景のもとに届けられたのである。
北条氏の蒐集力
それにしても最初の牧谿の絵が突返されてから約1年で、北条氏綱は当時最高級のブランドであった牧谿の絵を(しかも「横絵」という指定で)新たに入手したことになる。北条氏は、絵画収集において相当に強力なルートを持っていたことがうかがえる。