戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

カホキア Cahokia

 現在の米国イリノイ州にあったアメリカ先住民の都市。9世紀から14世紀にかけて栄えた。高さ30メートルにもおよぶ巨大な墳丘「モンクス・マウンド」が構築されたことで知られる。

ミシシッピ文化の大都市

 カホキアは、ミシシッピ文化に分類される。ミシシッピ文化とは、紀元800年から1500年ごろにかけて、現在の米国の南東部に広がっていた農業文化を指す。「マウンド」と呼ばれる大きな塚(墳丘)を構築する特徴がある。

 カホキアが栄えた時期は、9世紀から14世紀とされる。遺跡からは数百個のマウンド構造物が13平方キロメートルの範囲に広がり、最盛期で1万5000人の人間が住んでいたと推定されている。さらに木製の相当高い柵に囲まれた五角形の「都市部分」も発見されている。

 その中でも最大級のマウンドは「モンクス・マウンド」と呼ばれる司祭用のマウンドで、316×241メートル(7ヘクタール)の広さを誇り、高さは10階建てのビルに相当する30メートル以上もあった。これは1867年まで、米国で一番高い人工物であったという。

カホキアのマウンド(墳丘)

 「マウンド72」と呼ばれる墳墓には、260人が埋葬されていた。その半数が主君の臣下が犠牲となって埋葬されたもだった。副葬品には海洋性の貝殻や銅*1や雲母を使った工芸品などがある。

 特に、この大きな墳の一部のひとまとまりの埋葬部分には53人の若い女性と頭と手を切り取られた4人の男性の殉死体があった。また、おそらく最高位の首長かその親族が埋葬されていると推測される別の部分には、数千の貝殻のビーズ、400の矢、チャート石で作られた矢先、19のよく磨かれた石の工芸品、そして3人ずつの男女の殉死体が埋められていた。

 これらの「部分」としての埋葬部は何重にも積み重ねられて、一つの墳を形成している。埋葬の回数ごとに大きくなっていくという構造になっていた。

滅亡の謎

 近隣のホースシュー湖の堆積物コアから見つかった花粉沈殿物の分析によると、この地の農耕は紀元450年前後に始まり、900年から1200年にかけてトウモロコシの栽培がピークに達した。

 堆積物コアの分析によると、1200年前後に大洪水が発生し、そこから先はトウモロコシの栽培が衰退していくという。また花粉記録は、1350年までに、この地では農業がほぼ行われなくなったことを示している。

 カホキア滅亡の要因は、未だ謎ではあるが、洪水のみではなく、複合的なものと考えられている。

参考文献

*1:これは銅の精錬によるものではなく、純度の高い鉱石をたたいて成型したもの。