戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

樟脳(中国) しょうのう

 中国で生産された樟脳。樟(クスノキ)を加工して作られた。東南アジアで産する竜脳(カンフル)の代用品であり、殺虫剤や火傷の際の鎮痛剤として用いられた。12世紀には製造が始まっていたとみられる。

中国での樟脳製造の始まり

 12世紀初め頃、中国における樟脳製造が確認できる。『宋会要』市舶之部によると、1133年(長承二年)十二月に、現地(輸出入港)で変売される物の名目を定めた際、品目中に「潮脳」がみえる。1141年(永治元年)の条令には、「璋脳」あるいは「韶脳」という品目が挙げられている。福州と漳州、韶州と潮州はいずれも樟脳の産地であり、この頃には産地名を冠した樟脳が製造されていたとみられる。

樟脳の製造方法

 1505年(永正二年)に明朝で著された『本草品彙精要』には、樟脳の製造方法がみえる。すなわち、樹幹を断片にし鉄鍋に入れ水を加え、梵盆で覆(ふた)をし湿布で縫処(つぎめ)をおおい蒸気の漏れを防ぐ。強火で加熱し冷えると盆に樟脳の結晶が付着している。これをもう一度昇華精製して得られるとする。

 これは湯煎法や昇華法などと呼ばれている方法にあたる。樟脳の昇華法については、1322年(元亨二年)の『新纂香譜』の「飛樟脳」の項でも詳しく記されている。

 なお『本草品彙精要』では、樟脳の効能として、殺虫効果(薫香を衣服に焚き込めて使う)と「湯火瘡」(火傷)の治療効果を挙げている。

国外への輸出

 中国の樟脳は、13世紀には国外に輸出されていた。1225年(嘉禄元年)の『諸蕃志』では、東南アジアの三仏斉(パレンバン)の条に、中国からの輸入される品として「乾良菫、大黄、樟脳等」を挙げている。

 元朝の時代、マルコ・ポーロも1290年(正応三年)に泉州で、「カンフル(竜脳)を出す樹木」を沢山目にしたとしている。樟脳の材料となるクスノキのことと思われる。当時の泉州は、東南アジア以西との貿易で栄えた港であり、泉州で製造された樟脳は、東南アジアやインドに移出されたと推定される。

 日本にも樟脳はもたらされた。応永二十八年(1421)、渋川満頼が、朝鮮に象牙2本、犀角3本とともに樟脳5斤を贈っている。琉球船から購入したものを、朝鮮に再輸出したとみられる。日本には、後に樟脳の製法も伝わった。

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参考文献