戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

1.都市

南京(東夏) なんけい

13世紀、金国の武将・蒲鮮万奴が建国した東夏国の城郭。現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州図們市長安鎮に所在する城子山山城趾に、比定されている。

ガルザル Gardar

ノース人(スカンディナヴィア人)によるグリーンランド「東入植地」の中心的な居留地。現在のグリーンランド南部クレヤック市イガリク村にあった。

ビジャーヤ Bejaia

中部マグリブ、グラーヤ山の麓に発達した港町。その前面には風波を避ける深い入江を控えていた。その入江の一部に古代のサルダエの港町があり、ローマやカルタゴの貿易船の出入りで賑わった。

シフル ash-Shihr

イエメン南東部の乾燥地帯、ハドラマウト地方の港町。9世紀の言語学者イブン・ハビーブによれば、アデンやサナアにならぶ南アラビアの定期市が開催される町の一つだったという。すでにジャーヒリーヤ時代(イスラム以前の時代)から貿易商人や遊牧民たちに…

アデン Aden

アラビア半島の南端、紅海の入り口を扼す要衝に位置する貿易都市。古くからインド洋交易で繁栄した。

バルス Barus

インド洋に面するスマトラ島北西岸の港湾都市。バルス王国の王都。スマトラ西岸の寄港地として、また竜脳や安息香、金の積出港として栄えた。

ペグー Pegu

ビルマ南部に栄えたペグー王国の首都。1539年(天文八年)にトゥングー王国に占領されてからは同国の首都となった。

メナ Mena

サブ海、フローレス海に面するティモール島の北岸中部に位置する港町。同島の産物、特に白檀の積出港となった。

マカッサル Makassar

スラウェシ島南部ジェネベラン川河口部に位置した港市。ジャワ海域とマルク諸島、ティモール以東とを結ぶ航路の中継地として栄えた。

スンダカラパ Sunda Kalapa

ジャワ島西部地域・スンダ地方の中心的な港市。現在のインドネシアの首都ジャカルタ。16世紀、パジャジャラン王国の属領的外港であったが、その発展は母国を凌ぐものであったという。名称は、「カラパ」(椰子)が多かったことによるという。17世紀初頭…

パレンバン Palembang

スマトラ島東南部、ジャワ海に注ぐ大河・ムシ河から約90キロメートル遡行した地点に形成された港市。内陸物資の集積地であり、マラッカ海峡の要衝を占める国際貿易港としても栄えた。

アゴー Agoo

フィリピン・ルソン島 西部のパンガシナン州リンガエン湾奥、アグノ河の河口にあったとみられる港町。天然の良港であるリンガエン湾にのぞむパンガシナン地方は、元来、遠隔地との通交が盛んな地域であった。

カガヤン Cagayan

フィリピン・ルソン島最北部のカガヤン地方の港町。同地方のカガヤン河の河口にあった日本人集落。史料上に特定の名はないが、便宜上、この項では「カガヤン」とする。

プノンペン Phnom Penh

メコン河口から約300km 遡上した地点に位置し、河川交通の要衝して栄えたカンボジアの交易都市。カンボジア王国を代表する町の一つであり、15世紀には一時その王都となっている。

雲屯 Van Don

中国国境からベトナム北部へと連なる多島海にあった北部ベトナムの貿易港。李朝(1009~1225)、陳朝(1225~1400)から黎朝前期(1428~1527)までベトナム北部王朝の主要貿易港として栄えた。

富山浦 ぷさん

対馬対岸の朝鮮半島南部に位置する港町。中世、三浦の一つとして日本の朝鮮貿易の窓口となった。 太宗七年(1407)以前、朝鮮政府が興利倭船(日本の交易船)の到泊港を富山浦と薺浦に限定したことで倭人の居留が始まる。

タマリ たまり

千島列島最南の島・国後島の南端に位置する天然の良港。北海道本島とは根室海峡を隔てて向かいあう位置にあり、古くからアイヌの寄港地、交易地であった可能性もある。

アッケシ あっけし

東蝦夷地(現在の北海道東部)の天然の良港・厚岸湾の奥に位置するアイヌの集落。松前方面と、千島列島方面とを結ぶ交通の要衝。

宇須岸 うすけし

日ノ本(渡島半島東部)の物資の積出港となっていた港町。函館の旧名。宇須岸を交易港とする現在の函館市地域は、居住環境もよく、蝦夷ヶ島(北海道)における和人居住区の経済的中心地として繁栄した。

野辺地 のへじ

下北半島の付根、陸奥湾東南の沿岸に位置する港町。陸奥国糠部郡(上北郡)と陸奥湾、日本海との結節点として南部氏領国の重要港湾となったとみられる。

松前 まつまえ

海峡を隔てて本州・津軽半島と最短距離にある松前半島先端部に位置する港町。中世、蝦夷地和人拠点の中心的地位にあった。

田名部 たなぶ

下北半島の田名部川河口からやや遡った地点に位置する川湊。河口部の安渡浦を外港として下北の中心を担った。

十三湊 とさ みなと

本州北端部である十三湖・日本海間の砂州上に立地した港町。十三湖・岩木川の内陸水運と蝦夷ヶ島(北海道)に通じる北方交易の中心として栄えた。

野代 のしろ

出羽北部を流れる米代川(野代川)河口部に位置する港町。戦国期には檜山安東氏の外港として日本海海運の要衝を占めた。

秋田湊 あきた みなと

秋田平野や横手盆地など北羽最大の穀倉地帯を流域とする雄物川河口部に位置した港町。後背地の物資積出と湊安東氏の勢力を背景にして蝦夷地や畿内方面を結ぶ日本海海運の要港として栄えた。

左沢 あてらざわ

南羽の広域を流域とする最上川の河口部に位置する港町。中世以来、同地域と日本海との結節点を担う水運の拠点として栄えた。

酒田 さかた

南羽の広域を流域とする最上川の河口部に位置する港町。中世以来、同地域と日本海との結節点を担う水運の拠点として栄えた。

閉伊 へい

北上高地から宮古湾、太平洋に注ぐ閉伊川河口部、および宮古湾岸にあった港町。中世に遡って太平洋海運によって津軽、関東方面とつながっていたと推定される。

塩竃 しおがま

陸奥一宮・塩竃社の門前町。同時に陸奥南部の中心・多賀城(多賀国府)の外港として栄えた。製塩も盛んであり、南北朝期の旅行記『都のつと』には「あまの家」から塩焼きの煙が立ち昇る塩竃の風景が記されている。

湊浜 みなとはま

多賀国府から東流して仙台湾に注いでいた冠川(七北田川)の河口部に位置した港町。陸奥国南部の中心都市・多賀国府の外港となった。