戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

メナ Mena

 サブ海、フローレス海に面するティモール島の北岸中部に位置する港町。同島の産物、特に白檀の積出港となった。

ティモール島の港町

 1530年(享禄三年)頃に編纂された中国の航海案内書である『順風送風』には、ティモール島の12の港が具体名で記載されており、メナはその一つとしてみえる。メナは白檀の積出が特に多かったとされ、王が居住し、また「仏郎」(ポルトガル人)も住んでいたという。

白檀の産地

 中国では既に14世紀に汪大淵が、『島夷誌略』で「古里地悶」(ティモール)について記している。これによれば、山には唯一「檀樹」(白檀)だけが繁り、これを以て銀や鉄、陶器、西洋絲布、色絹と交換して貿易しているとしている。

16世紀のティモール島の交易

 『順風送風』で、メナに「仏郎」が住んでいると記されているように、16世紀前半に東南アジアに進出したポルトガル人は、ティモール島にも来航していた 。ポルトガル人のトメ・ピレスによれば、マラッカやジャワから毎年船がティモール諸島に行き、白檀をマラッカにもたらした。商品はカンバヤ(インド西部)の粗末な織物であったが、現地ではとても高価であり、これらをもたらすジャンク船はわずかな商品と交換で白檀を積荷したという(『東方諸国記』)。

恐ろしい風土病

 一方でピレスは、ティモールへの航海は利益があるが不健康であるともしている。

 同じく先述の『島夷誌略』にも、高熱を発して死に至る「陰陽交」という病気が記録されている。かつて泉州の呉氏が100人余りを集めてティモールに貿易船を派遣したが、十中八九は死に、残りの乗組員もひどく衰弱して戻ってきたという。

関連交易品

参考文献