ジャワ島西部地域・スンダ地方の中心的な港市。現在のインドネシアの首都ジャカルタ。16世紀、パジャジャラン王国の属領的外港であったが、その発展は母国を凌ぐものであったという。名称は、「カラパ」(椰子)が多かったことによるという。17世紀初頭、オランダ東インド会社の本拠となってバタヴィアと改称される。
ジャワ島西部最良の港市
16世紀初めにマラッカに滞在したポルトガル人トメ・ピレスは、スンダカラパについて、スンダ地方で「最も重要で最良の港」と記している(『東方諸国記』)。ピレスによれば、スンダカラパにはスマトラ島やパレンバン、タンジョンプラ、マラッカ、マカッサル、ジャワ、その他多くの各地から人々が来航していた。王国全土の商品もこの港に集まり、ジャンクも多く投錨していたという。
またスンダ地方では良質な胡椒が、毎年1千バール産出され、米や野菜、肉といった食糧も豊富に生産されていた。マラッカなどの商人はこれらを輸出し、インド産の織物などを仕入れていた。
イスラム化の始まり
1522年(大永二年)、ポルトガル船がスンダカラパを訪れ、ヒンドゥー教の君主と貿易条約を締結した。しかし5年後の1527年、再訪して貿易の根拠地を築こうとしたときには、すでに港はイスラーム化していたという。直前にトゥレンガナ王率いるデマ王国により、制圧されていた為であった。
琉球船の来航
またスンダカラパには、琉球王国の交易船も訪れていたとみられる。同国の外交文書集である『歴代宝案』によると、1513年(永正十年)と1518年(永正十五年)に巡達(スンダ)に向けて交易船が派遣されている。
胡椒は日本でも交易品として扱われていた。あるいはその中には、琉球船がスンダカラパで仕入れた物もあったのかもしれない。