戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

2020-01-01から1年間の記事一覧

徳淵 とくぶち

球磨川デルタの先端部に位置した港町。戦国期、肥後南部の中心の一つである八代の外港として栄えた。

八代 やつしろ

肥後国の中央部、熊本平野南部に位置する港町。同平野南部を貫流するかつての「大川」(白川と緑川が合流して有明海に注ぐ河川)の河港として栄えた。

河尻 かわじり

肥後国の中央部、熊本平野南部に位置する港町。同平野南部を貫流するかつての「大川」(白川と緑川が合流して有明海に注ぐ河川)の河港として栄えた。

高瀬 たかせ

菊池川と繁根木川に挟まれた三角州に位置する港町。現在の熊本県玉名市高瀬町。九州内陸部と有明海との結節点として繁栄した。

長崎 ながさき

肥前国長崎半島の付根の入り江を天然の良港とする港町。戦国後期から近世にかけて、ポルトガル船による南蛮貿易の中心拠点として栄えた。

奈留 なる

肥前国五島列島の一つ・奈留島の港町。 平安期以来、日本の対中国貿易の最前線となった。

平戸 ひらど

肥前平戸島北部の港町。松浦党の平戸氏(後に戦国大名化して松浦氏を称する)の本拠地。中世から大陸との航路の重要な寄港地であり、国際貿易の拠点であった。戦国期にはポルトガル船の入港も加わって繁栄した。

イヴァンゴロド Ivangorod

ナローヴァ川下流右岸の都市。都市の名は、当時のロシア(モスクワ大公国)の君主・イヴァン3世に因む。ロシアとリヴォニアの境界に接し、対岸にはリヴォニア騎士団の都市・ナルヴァがある。

藤津 ふじつ

有明海の北西、肥前国藤津郡の港町。現在の佐賀県鹿島市浜町付近に比定される。

嘉瀬 かせ

有明海北端に注ぐ嘉瀬川河口に位置する港町。現在の佐賀県佐賀市嘉瀬町。平吉氏など戦国大名龍造寺氏をささえた有力商人が住んでおり、肥前を代表する港町の一つとして中国にも知られた。

唐津 からつ

現在の佐賀県北西部、玄界灘に面する松浦川河口部の港町。江戸期以前には東西6キロに及ぶ砂洲(後の「虹の松原」)の発達により形成された細長いラグーンがあり、船の碇泊に適した良港だったとみられる。中世、松浦党の拠点となった。

鷹尾 たかお

有明海にそそぐ矢部川の下流右岸に位置する港町。中世、河港として荘園・瀬高荘など矢部川流域の物資積出港を担った。

博多 はかた

天然の巨大な良港・博多湾に臨む港町。古代以来の国際貿易港であり、平安末期には中国宋朝との交易拠点となり、宋人の居住区もあった。室町・戦国期は、中国や朝鮮だけでなく東南アジアとの交易も盛んになった。

大砲(スウェーデン) たいほう

ヨーロッパ北部の大国、スウェーデンで製造された大砲。17世紀以降、隆盛をきわめ、オランダをはじめとする各国に輸出された。

大砲(ポルトガル) たいほう

15世紀後半、ポルトガルは海外進出と貿易の拡大にともない、大砲への国内需要が増加した。同国は、一大「大砲市場」となっていった。

トウガラシ(中南米) とうがらし

トウガラシは紀元前8000年〜7500年にはペルーで栽培が始まっていたといわれる。中南米各地で古くから利用された野菜の一つ。

トウガラシ(ヨーロッパ) とうがらし

トウガラシは紀元前8000年〜7500年にはペルーで栽培が始まっていたといわれる。その後、15世紀末のコロンブス(クリストバル・コロン)によるアメリカ大陸到達を契機にヨーロッパにも知られるようになった。

ウーブリ Oublie

中世フランスで好んで食べられていた菓子。上等の小麦粉を使い、酵母を用いずに練り上げた軽い生地でできていた。これを熱した二枚の鉄板に挟んで焼く。ゴーフル(gaufre)の原形ともいわれる。

ビスコチョ bizcocho

イースト菌を使わずに二度焼きしたパン。語源はラテン語の「二度焼くことを」を意味する「ビスコクトゥス」に由来する。16世紀に入ると卵、小麦粉、砂糖の生地をオーブンで焼くビスコチョが現れる。このタイプのビスコチョが日本に伝来し、カステラのルーツ…

有平糖 あるへいとう

砂糖を煮て作られた飴の一種。戦国期、ポルトガル人によって日本にもたらされた南蛮菓子の一つ。語源はポルトガル語のalfeloa(アルフェロア:糖蜜から作られる茶色の棒状の菓子)ともalfenim(アルフェニン:白い砂糖菓子)ともいわれる。

金平糖 こんぺいとう

表面に角状の突起による凹凸をもつ球形の砂糖菓子。戦国期、日本に来航したポルトガル人によってもたらされた。語源はポルトガル語のコンフェイト“Confeitos”。

南蛮犬 なんばん けん

戦国期、来航するヨーロッパ人らは、日本に犬も持ち込んだ。珍しい犬は、有力者間の贈り物などにも用いられた。

南蛮合羽 なんばんかっぱ

戦国期、ポルトガル人によってもたらされた外套の一種。合羽の語源はポルトガル語の“capa”といわれる。日本には羅紗(毛織物)、もしくは天鵞絨(ビロード)製のものが持ち込まれた。

象(動物) ぞう

日本でも象という動物の存在は、古くから知られていた。平安期の事典『和名抄』には、象の姿について、「水牛に似て大耳、長鼻、眼細く、牙長き者なり」とある。室町・戦国期には、東南アジアからの贈り物として生きた象が日本に入ってくる事例がいくつかみ…

南蛮筒 なんばんづつ

戦国期、海外から直接移入された鉄炮。当時は有力者間の贈答品としても珍重された。 南蛮鉄炮とも表記される。

鹿皮(ルソン島) しかがわ

フィリピンのルソン島に生息していた鹿から作られた皮革。日本では革羽織や甲冑などの材料として需要が非常に高く、同島に来航した中国人や日本人によって、多くの鹿皮が船積みされて日本に運ばれた。

金(フィリピン諸島) きん

ルソン島を中心とするフィリピン諸島において産出された金。東南アジアだけでなく中国や日本にも輸出された。

嶋木綿 しまもめん

16世紀中頃以降、東南アジア、南アジアから日本に輸入された木綿布。「嶋渡り」の木綿、「縞木綿」とも呼ばれた。染め糸による鮮やかなストライプが織り込まれており、上質で珍重された。

呂宋壷 るそんつぼ

16世紀末から17世紀初期にかけて、主に茶道具として日本で珍重された陶器。中国南部や中部ベトナムで作られた雑器であるが、ルソン島を経由して輸入されたため、このように呼ばれた。呂宋壷は現地では安価な日用品であったが、日本では茶人の評価が高く…

焔硝(輸入品) えんしょう

戦国期、日本では硝石の多くを海外からの輸入に頼っていた。硝石は焔硝または塩硝と呼ばれ、鉄炮の火薬(玉薬)製造のための材料として炭や硫黄とともに調合された。