戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

ビスコチョ Bizcocho

 イースト菌を使わずに二度焼きしたパン。語源はラテン語の「二度焼くことを」を意味する「ビスコクトゥス」に由来する。16世紀に入ると、小麦粉、砂糖の生地をオーブンで焼くビスコチョが現れる。このタイプのビスコチョが日本に伝来し、カステラのルーツの一つとなったとみられている。

保存食

 16世紀までのビスコチョは二度焼きした乾パンのような食べ物であり、水分を飛ばしてある為に軽くて長期保存が可能だった。『13世紀のイスラムスペイン料理』の中には、ぼろぼろと崩れない旅行用のビスコチョが登場。小麦粉を練ったもので、練るときには少量の油を加えている。

  文献上の初見は14世紀。スペインの『アルフォンソ11世の年代記』には「カスティーリャ国王は海軍の兵隊用にビスコチョを支給する」とあり、船に乗せる食料だったことが分かる。

 16世紀初頭、世界一周を目指すフェルディナンド・マゼランの艦隊にも234名分の糧食として494キンタル(約2万4千キロ)のビスコチョ、もしくは乾燥パンをその他の物資とともに積み込んだという。

小麦粉と砂糖と卵で作るお菓子

 1611年に出版された『コバルビアスの辞書』には、ビスコチョの第一の意味として「艦隊や船の食料として持っていくために焼いたパン」とある。これは前述の16世紀以前からのビスコチョであるが、変化がみえるのは2番目の意味で、「小麦粉と砂糖と卵で作る美味しい別のタイプもある」と記されている。このころビスコチョは、お菓子にもなっていたことがうかがえる。

  実際、1592年に出版された菓子職人ミゲル・デ・バエーサの著書には、ジャム、ゼリー、マサパンなどの菓子の作り方に交じってビスコチョのレシピが二つ載せられている。バエーサはビスコチョは砂糖と卵でできているので、健康な人にも病人にも好ましい食物であると記している。

様々なヴァリエーション

 1611年には、スペイン王フェリペ3世の料理人であったマルティネス・モンティーニョが著した『料理、デザート、ビスコチョの作り方』という料理書も出版されており、初版から1823年までの二百年間に実に25版を重ねる大ベストセラーとなった。

 この本には、9種類ものビスコチョが記されている。例えば「澱粉で作るビスコチョ」は、卵11個と砂糖1ポンドをよく混ぜてから、澱粉を10オンス入れる。それを縦32センチ、横44センチの紙の箱に2センチほど流し込み、これを銅の窯で弱火で焼く。焼きあがると12個に切り分け、砂糖をふりかけてもう一度焼く、とある。

 18世紀に入ると、ビスコチョはさらにバリエーションが増える。1747年にマドリードの菓子職人フワン・デ・ラ・マタはビスコチョを含むあらゆる種類の菓子が所収されている『デザートの作り方』という本を出版。ビスコチョの種類の中には伝統的なもののほかに、生クリームを使ったもの、四旬節用のもの(卵の代わりにトワラントゴムを用いる)、チョコレート、さまざまなジャムを使ったものなど、現代風なものもみえるようになる。

参考文献