戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

嶋木綿 しまもめん

 16世紀中頃以降、東南アジア、南アジアから日本に輸入された木綿布。「嶋渡り」の木綿、「縞木綿」とも呼ばれた。染め糸による鮮やかなストライプが織り込まれており、上質で珍重された。

筑後国人・田尻親種の贈り物

  天文十六年(1547)、筑後国人領主・田尻親種が大友義鑑との謁見のため豊後府内を訪れた。その際の記録である「参府日記」には親種一行が道中や府内において、義鑑および家中関係者に対して、大量の「木綿」「嶋織」「嶋木綿」を贈っていることがみえる。

 田尻氏の本拠・鷹尾は有明海に面し、その上流の瀬高は明人・鄭若曾が編纂した『籌海図編』にもみえる港町であった。嶋木綿などの輸入品調達が、可能な環境にあったとみられる。

 その後、嶋木綿は豊後にも普及した。天正年間には、豊後各地から伊勢御師に贈られた品物の中に「唐木綿」「しまもめん」がみえる。

メキシコに輸出される木綿

  慶長元年(1596)八月、マニラからスペイン新大陸領に向かっていたサン=フェリペ号が土佐に漂着して浦戸に入港した。このとき没収された積荷の中に「唐木綿二十六萬端」があった(「太田牛一雑記天正記」)。

 サン=フェリペ号はマニラから出港していることから、この「唐木綿」は中国製よりもむしろ、東南アジアで織られたものである可能性が高い。当時、大量の木綿が東南アジアからメキシコ方面にも送られていたことがうかがえる。

オランダ船による輸入

 元和二年(1616)の「駿府御分物御道具帳」では、「唐木綿」として「おらんた縞木綿」11端がみえる。新たに日本貿易に参画したオランダ船がもたらした嶋木綿と思われる。