戦国日本の津々浦々 ライト版

港町から廻る戦国時代。そこに生きた人々、取引された商品も紹介します。

チャンパ陶磁 ちゃんぱとうじ

 中部ベトナムチャンパ王国で生産された陶磁器の総称。15世紀には国外に輸出されており、東南アジアや中東、日本の大宰府でもみつかっている。日本には17世紀初頭の朱印船貿易によってもチャンパ陶磁が運ばれた可能性がある。

チャンパ王国と陶磁生産

 チャンパ王国は、オーストロネシア系のチャム人を中心とした国で、2世紀から15世紀頃まで、現在の中部ベトナム一帯を支配していた。このチャンパ王国は北部の大越国とたびたび交戦したが、1471年(文明三年)に王都ヴィジャヤが陥落して衰退。16世紀以降は現在の中南部のニントゥアン、ビントゥアン省地域に残存勢力をたもち、19世紀前半までベトナムの属国として存続していた。

 チャンパ王国では陶磁器の生産も行われており、現在のビンディン省アンニョン県ニョンホア社のゴーサイン窯跡群やカイメイ、ゴートイ、チュオンクーで窯跡が確認されている。これらの窯で焼かれた陶磁器の総称として、チャンパ陶磁という名称が用いられている。

 これらの窯跡は、ティーナイの入江(現在のクィニョン湾)に注ぐコン川の流域に位置し、水運の便に極めて恵まれているという。この地域一帯は、1000年頃に建設されたチャバン城(ヴィジャヤ城)を中心とするチャンパ王国の王都の域内にあたる。

 チャンパ陶磁の種類や器形は、青磁の碗、皿、鉢、褐釉の壺、甕、鉄絵の碗、皿、鉢、盤が主要な製品で、他に施釉瓦、無釉瓦、チャム祠堂の装飾品がある。鉄絵の碗には片彫文、蓮弁文、櫛描き文があり、鉄絵の壺や甕には釉下に描く劃花、施釉文、釉を掻き取る劃花文、文様を貼りつける貼花文、印花文が確認されている。青花磁(染付)は認められないという。

チャンパ陶磁の対外輸出

 チャンパ陶磁の開始時期や終末時期は、現在のところ不明とされる。ただ、ベトナム国内の墓地遺跡や海外での出土状況から14世紀前後から18世紀初頭にかけて生産されたと考えられている。

 フィリピン海域のパンダナン島沖の15世紀後半の沈船から、2000点以上のゴーサイン窯の青磁皿が、永楽通宝(1402-1427)や明朝時代の景徳鎮窯系の青花皿(玉追い獅子文)*1ベトナム北部の青花約700点と共に引き揚げられている。チャンパ陶磁はこの頃、盛んに海外に輸出されていたことがうかがえる。

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 チャンパ陶磁は、マレーシアやタイ沖の沈没船資料、インドネシア、さらにエジプトのトゥール遺跡、アラブ首長国連邦でも発見されており、日本の大宰府からも15世紀の皿が出土している。15世紀の製品は、ビンディン省を流れるコン川河口のクイニョン湾の港から輸出されたと推定されている。

堺環濠都市遺跡出土のチャンパ陶磁

 17世紀初頭、すでにチャンパ王国は王都ヴィジャヤを失陥して縮小していたが、この頃のものとみられるチャンパ陶磁が日本に運ばれていた。すなわち、日本の堺環濠都市遺跡の17世紀初頭の遺構*2から、チャンパ陶磁の施釉四耳壺の破片が出土している。復元すると口径約17cm、器高約34cmになるという。

  当時、日本からは朱印船がチャンパ(占城)へ渡航していた。例えば肥前国日野江の有馬晴信は、慶長十年(1605)と慶長十二年(1607)、慶長十三年(1608)、占城への朱印状を取得している。また慶長十一年(1606)には徳川家康が占城国王に親書を送り、良質な香木を求めており、慶長十六年(1611)に長崎奉行の長谷川藤広が占城国王に伽羅などの香木が届いた旨の書簡を送っている。このような日本とチャンパ(占城)との交易の中で、チャンパ陶磁が日本に運ばれたと推定される。

 なお、ベトナム南部ラムドン省のダイライ遺跡の墳墓群から1500点以上のチャンパ陶磁がみつかっているが、その中の一つの墓壙からチャンパ陶磁鉄絵壺とともに18世紀初頭の伊万里焼肥前陶磁)が出土している。このことから、チャンパ陶磁は少なくとも18世紀までは生産が続けられたとみられる。

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参考文献

  • 青柳洋治 「チャンパ陶磁―東南アジア陶磁の新顔―」(『季刊文化遺産』5 1998)
  • 阿部百里子・菊池誠一 「ベトナム陶磁の生産と海外輸出」(アジア考古学四学会 編 『アジアの考古学1 陶磁器流通の考古学―日本出土の海外陶磁―』 高志書院 2013)
  • 坂井隆 「ジャワ発見のベトナム産タイルの図柄について--イスラーム文化との交流をめぐって (特集 文化史)」(『東洋史研究』69 2010)
  • 「17世紀のチャンパ施釉四耳壺が日本初出土、堺の環濠都市遺跡」(『
    ベトナムニュース総合情報サイトVIETJO [ベトジョー]』)

    www.viet-jo.com

アジア図(メルカトール・ホンディウス) 1602年
出典:古地図コレクション(https://kochizu.gsi.go.jp/
※チャンパ(CAMPAA)周辺を切り取り加工しています

*1:この種の青花皿は、日本やフィリピンの15世紀後半から16世紀前半の遺跡から相当数出土している。

*2:慶長二十年(1615)に大坂夏の陣の前哨戦で被災した焼土層