最高品質の沈香木。樹脂分の凝集度が極めて高く、潤沢な黒色が特徴。中国および日本で珍重された。現在のベトナム中部沿海に栄えたチャンパ(占城)王国の地が、産地としてよく知られた(他地域でも産出はした)。
高価な香木
その名称は、梵語および現地語で黒を意味する"kalam"に由来するといわれる。現地では”kalam"に中国語の「木」("bak")を合わせて「カランバック」("kalambak")と呼ばれた。中国では時代によって変遷があるが、「加南木」や「加藍木」、「伽藍香」、「棋(奇)楠香」と呼称された。 ただし、語源については異説もある。
史料に現われる早い例では、中国南宋の乾道三年(1167)十月、占城(チャンパ)からの進貢品に、乳香や象牙とともに「加南木棧香、三百十斤」とある(『宋会要』歴代朝貢)。南宋末期から元初にかけて編纂された陳敬の『香譜』には、「伽藍木」について「蓋し香中之至宝」とあり、その値段は金と同じであったと記されている。
16世紀初め、ポルトガル人のトメ・ピレスも著書『東方諸国記』の中で、チャンパの主要な商品として「カランバック」にふれている。すなわち真物の沈香であり、同種の中では最良のものとし、マラッカでは2アラテルにつき、6~7クルサードの値であるが12クルサードのものもあると記している。
日本での伽羅
日本では14世紀後半頃に成立した『異制庭訓往来』に「伽藍木」「妬伽羅」とあり、『遊学往来』に「伽羅木」がみえる。
天正二年(1574)の「建部隆勝筆記」には、「名香木所之様体、御尋候、伽羅、新伽羅、羅国、真那班、真那賀、大形如斯候」とあり、伽羅を最上とする後の香道の「六国」の原型が16世紀後半には現れている。なお伽羅と新伽羅の違いは、輸入の時期による新古の違いによる価値の差を区別するためと考えられる。
このため、伽羅の需要は非常に高かった。天正五年(1577)八月、フロイスは巡察師のアレッサンドロ・バリニャーノに宛てた書簡の中で、日本の大身たちが珍重する物を挙げているが、その中に伽羅・沈香がみえる。徳川家康も伽羅の入手に力を尽くしており、慶長十一年(1606)、占城国主やカンボジア国主、シャム国王、田弾国王らに宛てて、それぞれ極上の奇楠香を求めている。
慶長十四年(1609)、長崎奉行・長谷川藤広は、占城国主に対して銀20貫目を送って伽羅100斤を入手した。しかし銀と比べて伽羅の量が少なすぎるといって重ねて要求している。
また慶長十九年の平戸オランダ商館員の報告によると、堺で売買した商品のうち、沈香は品質により1斤につき70匁ないし80匁、伽羅は品質により1斤につき230匁ないし250匁であったとされる。